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テーマ:がん治療 役立つ情報(68)
カテゴリ:闘病記
3年くらい過ぎての検診 肝臓がんがまたみつかったのでした。でも今回は、転移ではなく原発性の肝臓がんとのことで、肝硬変からのものと言われました。
つまり肝硬変になっていたのでした。肝硬変の原因はウイルス性のものではないとのこと。はっきり言ってショックでした。 「なんで肝硬変になるまで気が付かなかったのか。」「お酒が原因?・・・」 治療としては肝動脈塞栓術をするというのでお願いし、家ではまた食事療法を元に戻しました。 しかしながら今回は、進行をなかなか止められず、ゆっくりではあるけどがんは少しずつ大きくなってゆきました。 それまではりをもって毎日を送ってきた父をはじめ、肝硬変という言葉にはみんなショックを受けていました。 肝硬変は進行を遅らせることはできても治らない病気。 父は4歳になる孫を見て、「美由ちゃんが小学校へあがるのを見れるかな」といいました。 「こんな気持ちではプラセボ効果プラスαは期待できない。」何とかしなくてはと思いました。 がんの患者学研究所というところから資料を取り寄せ、父に紹介しました。そこには進行がん、末期がんからでも回復した人がたくさんいることが載っていました。 実際に良くなった人の例をたくさん知って、これからの治療に勇気と元気を持ってもらいたいと思ってのことでした。 一回目の塞栓術が終わり、効かなくなってきたβグルカンキノコ系のサポートにいいと本に書いてあったD-12というものを一緒に飲みましたが、それでも進行は止まりませんでした。 またほかの小さながんがすこしずつ大きくなってきました。 黒酵母βグルカンには見切りをつけ、何がいいのかわからないわたしは、タヒボ、CPL、アラビノキシランと効果を求めて品を変え飲ませました。顔色がすこし良くなり小康状態が続きました。γGTPが600から正常値に下がった時もあり、喜びました。より効果を求め、中国漢方の康楽液も試しました。しかしやがてまた大きくなりはじめ、ゆっくりではありますが新たながんも少しずつできてきました。そうこうしているうちに塞栓術も3回目を終えました。見つかって2年くらいたったと思います。 進行は止まりませんでした。このころから副作用の少ない経口抗がん剤が病院から出されていました。 その後病院の先生からは、肝臓は予備能、つまり肝臓の働きの余力がなくなってきたといわれました。 レントゲン撮影(CTかな)を見たら肝臓全体に、ぶどうのふさのようにがんがたくさんありました。 肺にも転移があるともいわれました。塞栓術はもうできないと言われ、あとは抗がん剤でどれだけ延命できるかというところですと言われました。 それでも本人は自覚症状がほとんどなく、家では普通に過ごしていました。 PQQと一緒にosw-1というのがはいった抗ガン漢方も試しました。他になにか方法はないのか考えても見つかりはしませんでした。できるだけ家での普通の生活を少しでも長くということを考えるようにしました。 健康食品への期待は私の思うようにはいきませんでした。 つづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.04.22 18:04:20
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