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明日は何を着ようかな@アラフィフstyle

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2021.03.11
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カテゴリ:災害
私たち一家は仙台市の中心部に住んでいたので
人的被害は幸いありませんでした。

その後の生活は大変だったけど
沿岸部に住む人たちの被害と心情を思えば
辛いとは大きな声で言えませんでした。
ママ友の親戚、職場の関係のある人たち
皆、大きな被害は聞かなかった
一月後の大きな余震で扉の壊れていた食器棚から食器が全部出てしまい
ほぼ全滅でした

ただ、ただ
「負けてられない」という気持ちだけで
前を向けたのも
私に関わる人達に人的被害がなかったからだと思います。

3月11日には梁とロックがかかっていたため食器は一つも割れなかった

電子レンジは壊れたけど




あまり、災害ドラマは見たくない

テレビで使命感に燃えているアナウンサー

「身を守る行動を」
「津波から逃げて」

誰に?

津波が迫っている地域の人はテレビなんか見てる余裕ないよ
あの日、電気が停まってテレビなんて見れないし。
ぎゅうぎゅうに詰め込まれた真っ暗な小学校の体育館で
ずっと続く余震に怯えてながらラジオなんて聞いている人一人もいなかった。
出始めだったスマホや携帯はいつまで停電が続く不安から
充電がなくなるのが心配で誰も見ていないし。
津波の映像を見れたのは夜中に仕事先だった
震源地栗原市から9時間かけて
避難先の小学校に迎えに来てくれた夫の車のテレビだった
それも翌朝。
すごい被害だと知ったのも翌日、街の中心部では防災無線がないから
電気がないとテレビでの呼びかけなんて無力だよ

震災から数年後、東京に戻ってきてから武勇伝のごとく聞く当時の帰宅困難の大変さ、
使命感に燃えているアナウンサーのしてやったり顔を見るたびに
夫婦して「胸糞悪い」と悪態をつくのでした( *´艸`)

訪れた荒浜地区
震災から二年後

住宅の基礎だけ残されている



慰霊碑


息子の部活の試合で遠征した志津川
試合の合間に保護者同士でさんさん商店街へ

この辺りは行くたびに道が新しくなって
迷います
夫も仕事でかなり関わっていたので
最近の映像を見るときれいになってびっくりしています。
いつか、早いうちにまた訪れたいと思いました。





震災を経験したことは直後より時が経つほど辛くて
思い出したくない事もあるけど
楽しい思い出での方が多かった仙台。
がんばれ東北!!

2013年優勝した年!!
やっぱり応援したい♪
マー君頼むよ~





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Last updated  2021.03.11 23:50:05
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