猫がいなかった頃の話
この前、翔んで埼玉を見て懐かしくて笑った。何かの書類を探してる時に、歴代の賃貸契約書が出てきたのでなんとなく順番に目を通してたら、一番最初に住んだ越谷の書類が無い。「きっと仕事先経由で部屋を借りたからじゃないかな?」旦那様談。そうかも、不動産屋さんから冊子でもらった覚えがない。たしか借り上げ社宅扱いから旦那様の名義にしたはず?等、うろ覚え。埼玉には大体あわせて5年半しかいなかったけど楽しかったな。すぐ地元に帰るのは絶対ヤダー!という気持ちでいたら、いつの間にか時間が経ってた。早速、ホームズをチェック。住んでいたアパートがまだあった。もう築古で、部屋割りは変わってないけど外観も部屋の中もリフォームされて綺麗になっていました。当時もガランとしたままで、あまり大きめの家具を買わずに過ごしていたからこの何も無い部屋の画像が懐かしい。家賃もすごーく低くなっていて時の流れを感じました。私が洗濯物をベランダで干してる時などに大声で遠くから話しかけてくる感じの大家さん(スミちゃん)はそんなに頻繁に遭遇しないけど、たまにバッタリ出会ったら少し話す程度でよく田舎にいそうな、昔ながらのおばあちゃんでした。覚えている出来事は玄関あけたらイキナリ赤飯!すごく綺麗に、玄関の上がりぐちのド真ん中に置いてあった。美味しかった。きっとスミちゃんかな?そうだと思う?そうなのかな?と思っていました。2,3日後、私がベランダで物を干してる時に、少し離れた庭にスミちゃんがいて大声で「赤飯食べたかーい?」と聞かれ、そこで初めてわー!やっぱりスミちゃんだったのか?と、わかったのですぐにお礼を言った思い出が。大家さんだから、持ってる合鍵でガチャっと開けてそっと丁寧に置いてったのかな!?まさか全世帯に??って考えたら面白かった。孫じゃねえんだぞwと旦那様も笑ってた、でも人によっては盛大に引くと思う。でも何のめでたい事があって、赤飯を炊いたのかは聞いてないなあ。何もめでたい事が無くて、小豆がたくさんあったからよーだったら気まずい。(~でよーという方言がアリなのかな?と勝手に解釈していた越谷時代です違ったらゴメンね)スミちゃんには、所沢へ引っ越す時にオロCひと箱を持って最後の挨拶に行き、バイバイしたっきり会ってないです。2回目の更新料を払うのはキツイ。約4年住んでたから許してくれい。とも思いました。お年寄りにはオロナミン。農家では長いジョージア常備。というイメージが時代を感じますね。住み始めて間もない頃、はじめての台風が近づいた。なぜ雨戸がついているか理由がわかるほど強い台風(北海道には雨戸が無い。二重サッシだけ)隣人(台湾美人妻を持つ)が、「ここら辺は本当に水没するので、車は高台に避難させた方が良いですよ」と教えてくれた。大きめの台風が来れば、自転車の車輪が半分以上つかるほど本当に冠水がすごくて今もきっと大型台風が来たら水害レベルだと思う。知らずに駐車場に止めてたら、きっと下のマットがヒタヒタに。タイヤも見えなくなる感じです。だけど私たちが住んでた場所より、低地の方にも住宅地が広がっていたから家によって床下浸水する地域だったかもしれない。住み慣れた頃に、今回は大丈夫だろうーと駐車場にとめたままでいたらマットが少し浸かって臭くなりました。→はがして乗る事になり、エンジン音がうるさくなる。他の住人(美人フィリピン妻を持つ)は、「期限切れそうなやつだけど、いる?」とか言いながら災害用の水を箱でくれたり。そのまた他の住人は、「コレ、スキデスカ?手作リデスガ、ドウゾ」と異国の食物をくれたり。なんかくれる人みんないいひと!な環境でした。一階に住んでた人が、野良猫を餌付けしていて猫が散歩の途中で寄り道してくるのを少し羨ましく思ったり。ベランダにいたら、どこからか来たハチワレがニャーニャー言いながらが大ジャンプでドカドカッと近くに来たり。必ず蚊柱が発生する場所があったり。セミが大発生したり。ヘビが半分落ちてたり。真っ暗な橋の上で自転車をこいでると、毎度ツバメが頭をかすめるように何回も飛んできてバカにされたり。ザリガニが大発生して道路がザリガニだらけだったり(近づくと立ち上がって威嚇してくる。ボウルで数匹捕獲したが、すぐしんだ)生まれたての子猫がゴミ捨て場のそばに落ちてたり(半年後に目の前の家で飼われているのを発見したので安心)駐車場にでっかい冷蔵庫が捨てられていて「ももしかして!中にヤバイものが入ってたりして」と騒ぎになったり。変質者や、引ったくりが出たり、自販機荒らしも横行していたし。早朝から用水路に刺さった車を発見したり私が出勤途中に遠目で見かけてしまって、でも大急ぎだった為通報もせずにスルー仕事明けの旦那様が、私の仕事場に毎朝顔を出していたので「車が刺さってたよ!」と教えたら「うそだー」とまっすぐ偵察に行き、ホントだった!と撮ったらしい。見事に刺さってたっぽい西の大阪、東の埼玉だったからか?田舎だとありえるのかな。人は乗っていなかった。どうすんだこれ。当時のウチの車との比較比較2手前の畑で乗り回した後、飛び出したら刺さったっぽい。前方のガードの部分がうまくハマってしまったみたいですね。その瞬間にドライバーは何を思ったんだろうか。かなり大昔の事なので画像放出してしまった。その他いろいろありました。あの冠水さえなければ生活利便性よかったんだけどな越谷。ゴミ出しも、燃えるか?燃えないか?ビンと缶はココ!おっけ?大型だけ電話しなよYOU!みたいなイメージ。今はもう違うのかもしれない→いや、ググったら同じだったw燃えるゴミは半透明袋へ!その他は赤.青.黄色カゴに入れるスタイル!ここがポイント。有料ごみ袋など無い。どうせ細かく分けないからって諦めてるのか越谷市は。→いいえ、ごみ処理場のパワーが凄まじいからです。高温で処理するので変な物質も出ないみたいで、立派な建物の処理場だった。たしか大型ごみは電話しなきゃいけなかったような気がする。そこから引っ越す時に、自分が捨てた物でまだ使えそうなものが少しずつゴミ捨て場から消えていくのは、「すげ~たくましいな!これが真のエコだ!」と思いました。まあまあ綺麗な状態にして捨てたからなのか。置きに行くたびに消えていく恐怖があった。自分だったらゴミ捨て場からは...ちょっと使えそうでも拾いたくないなあ。だってバッチイもん。