|
カテゴリ:カテゴリ未分類
歴史ヒストリーを観て、 三姉妹で盛り上がっていますテレビドラマの中で判り易く 対話式で紹介しているテレビで、興味深い説明がありました。 何故、織田信長が妹の嫁ぐ浅井長政を小谷城を攻め落としたか 実は、信長と長政は親交の中であり改名に信長の長一字を賜り、 長政としたほどに、然しながら、信長は福井藩主朝倉義景を打倒 しょうとしました。 ところが、長政の父久政が朝倉家に恩義ありとして、親子喧嘩に までになりました。長政は止むを得ず父の言に従い、 織田軍を挟み撃ちとせざるを得なく参戦、 織田軍の多勢に城は落ちました。久政。長政は自刃 信長の計らいで、妹お市の方と三姉妹は秀吉預かりと なりました。 浅井家の滅亡の為、長政側女の子「万福丸」も琵琶湖で殺害。 然し歴史は異なもの、この城で生まれたやや「江」が名だたる子孫を 遺すのです。 徳川二代将軍秀忠と三度目の結婚、そこで生んだ子1男5女 千姫 豊臣秀頼に嫁ぐ 珠姫 加賀藩第2代藩主 前田利常に嫁ぐ 勝姫 福井藩主 松平忠直に嫁ぐ 初姫 京極高次に嫁ぐ 家光 三代将軍 和子(まさこ) 後水尾天皇の中宮 「東福門院」 第109代明正女帝の母君 この子の中で 珠姫にいたっては、加賀歴代藩主の後継者で 明治になって「近衛文麿」が近代その孫の「細川護煕」が 何れも総理大臣として、DNAが歴然と続いていると言うことです。 先祖は大切にしなければならないとしうことでしょうか。 全国的に梅雨明けとなりましたが、「節電熱中症」で尊い生命を 落としておられます。「節電」と「命」考えさせられます。 暑さに負けず、昨日砂川小学校の3年生の30名の児童に ゲートボールの指導に1時間ばかり行ってきました。 とても礼儀正しく、教員もお二人交えて暫し子供に帰りました。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|