|
カテゴリ:カテゴリ未分類
東京スカイツリーは、634mだそうで、大相撲の観覧席634円を 発売したら、5分で完売したそうです。 京都タワーは、130mで、建設当時お東さん(東本願寺)が寺院 の側に近代的な目だった建物建設に猛反対されたそうですが、 頭の智慧を働かせて、京都は社寺が多いから、京都の玄関口に ロウソクを一本献灯しては、の意見で納得,当時の京都市の人口 130万人あわせ、建設の運びになりました。 因みに京都のお寺の数は、「嘘八百の倍」1600ケ寺あるとされて います。
京都盆地
京都物語の初めに、京都盆地の成り立ちを知っていただきましょう。
第三紀末の瀬戸内海陥没運動によつて生じた京都は地溝盆地となり 南北40km・東西12kmと細長い湖として、今から100万年前の洪積世 まで京都盆地の大部分は、一面の水に覆われ、大阪湾に広く連なった 湖水でした。琵琶湖を挟む比叡山は島でした。 水が引く内に、鴨川・桂川そして宇治川によって、土砂が推積され 次第に盆地となりました。 北部にある鞍馬山でも、貝の化石が掘り出され、鞍馬寺の博物館に 展示されています。鞍馬山の麓の貴船神社には、玉依姫が 【黄船】に乗って難波(大阪)から、北上されたとして、模った岩が 境内に飾られています。 京都は夏は蒸し暑く、冬は底冷えします。いわゆる湿地帯で 原因は、湖底の名残に【伏流水】が網羅されて地下水として流れて います。 戦後まで、結核患者が多く、私もそのひとりでした。アスハルトを 敷く事と治療方法が優れ現代はほとんどありません。 然し、源頼朝とか徳川家康は、京都には「六波羅探題」方や「二条城」 で朝廷を監視しつつも健康的な「鎌倉」「江戸」に幕府を置き、 出先の武将は戦に強くっても「労咳」(ろうがい)(結核のこと)から 避けるため交代で護ったようです。 祇園祭は、梅雨の川の氾濫で疫病が流行その厄払いが、鐘・笛で 音頭をとって、疫病退散の祈りの行事となりました。 一方「名水」から茶道・京料理・着物の友禅そして伏見では酒の 醸造に最適となっています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|