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周恩来の碑 本日の日記で、亀山公園に建てられた、周恩来さんの碑の詩の 内容です。 周恩来さんは、3年ほど、東京にある大学校に留学され、その折に たまたま京都嵐山を訪問され、悩みに応えて呉れるような、嵐山の 雨の中での、景観に詩を残されました。 周恩来さんは、又、中国に帰られ、首相として、田中角栄総理と 日中正常化に調印され、国交が快復された方でもあります。 一国の党首ともなる方が、嵐山の景色で元気を取り戻されたとも 思えます。 最近でも、中国の要人の方が来日のときに、わざわざ表敬訪問 されるほどの人柄だったのでしょうね。
【碑文】 雨中嵐山-日本京都 一九一九年四月五日 雨中二次遊嵐山、 両岸蒼松,挟着幾株桜。 到尽処突見-山高 流出泉水緑如許、繞石照人。 瀟瀟雨、霧濠濃; 一線陽光穿雲出、愈見嬌妍。 人間的万象真理、愈求愈模糊; -模糊中偶然見着一点光明、 真愈覚嬌妍。
雨の中二度遊びに来ました。 両岸には、青い松がそして幾株かの桜の花が混じっていました。 岸の道が尽きる処で、高い山が望めました。 流れ出る泉は、緑色に映り、石を巡って人の姿を照らしました。 小雨は深々として降り、霧が濛々と漂よって居ました。 一筋の太陽の光線が、雲間から射し込みました。とてもなまめか しい光景でした。 人として考えるに、森羅万象、真理は、いよいよ求めれば求める 程はっきりしませんが、そのはっきりしない中で、たまたま一点の 光明を見出すことが出来れば、 眞にいよいよなまめかしくあでやかで美しいものでした。 嵐山の美しい景勝を上手く捉えられた詩と考えられます。
宇治黄檗万福寺の開板 魚が口に咥えている意味を知りませんでしたが、 【黄檗辞典】に下記の通り書かれていました。 禅宗では、心に潜む三毒も吐き捨てる意味なのでしょうか。
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