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嵯峨天皇陵から200mのそぱに【直指庵】があり、 女性の方で恋に疲れた方々らが「思い出草」に静かに記帳して 、庵に遺す部屋が用意されています。何冊もあり、可なりの人々が 訪問されているようです。
本日は昨年の秋に訪問した、 もみじと女性の駆け込み寺とも云われる。こころの癒しの名所 とも云えます。
【嵯峨野の飛び地】 愛宕道とは外れますが、女性の哀話として、欠かせない閑居が 有ります。NHK大河ドラマ【篤姫】が鹿児島から都の近衛家に 養女となり、其のときの理解者が、【津崎村岡】でした。 (どくしょうせいえん) 山号 祥凰山
入口【直指庵】石塔 参道 本堂の前庭 本堂 本堂 奥庭への道
大覚寺の北方に位置します。やはり孟宗竹籔に包まれた ひっそり佇む庵が建っています。 隠元禅師の高弟「開基独照性円」が草庵を結びました。 「直指人心見性成仏」(じきしにんしんけんしょうじょうぶつ) 禅宗の悟りを示した言葉です。 荒れ果てた「庵」を幕末の勤皇家、近衛家老女「津崎村岡」に よって再興されました。 「村岡局の胸像」は、亀山公園の敷地内にひっそり座しています。 名を「矩子」(のりこ)といい、8歳で近衛家に仕えました。 「勤皇」のこころざし厚く、女性でありながらも、国事に、 奔走されました。「安政の大獄」の際、投獄されるはめにまで なりました。その後釈放後に、嵯峨野に帰り、「直指庵」にて 、静かな余生を送り、88歳で亡くなりました。
津村 村岡の墓所
「悩める女性」の「かけ込み寺」しても世に有名でして、 その悩み事を記した【想い出草】として、大學ノートが 侘びしく置かれて居ます。
【想い出草】のノートを記帳する部屋 恋に破れた女の方が此処で心を鎮める かなりのノートが置かれていました。
境内には、【想い出草観音像】が優しく見守って居られる様に 思えます。
帰り道
帰り道
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