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非条理の秀吉に変わって明るい場所をご紹介します
此処高台寺では、ねねさんに人気か゜あって尋ねる人が絶えません。 我が儘な夫を最後まで、ねねさんは支えてきました。 徳川家康の庇護のもと建てられたねねさんの菩提寺です
高台寺庫裏の入口
【高台寺】 臨済宗建仁寺派 開基 弓箴(きゅうしん) 山号 鷲峰山 豊臣秀吉の夫人「北の政所ねね」が秀吉没後9年後に建てた お寺で、後陽成天皇より下賜された「高台院」にちなんで 名付けられました。秀吉並びに生母・養父母そして木下家の菩提を 弔うべく建てられたようです。徳川家康もねねさんには敬意を表し、 普請に要する費用も援助したとか。伏見城に有った 【薬医門】【傘亭】【時雨亭】なども移築されて残っています
三門薬医門の「蟇又」には、「見返り狐」と「うさぎ」が 飾られています。庫裏横の受付より庭園に入っていきますと 三門【薬医門】 蟇股の中に兎裏には狐
【臥龍池】(がりゅういけ)が「蓬莱形式庭園」として広がります 。鶴島・亀島はおおきいです。
鶴島・亀島の庭園 池を巡りながら【楼船廊】(ろうせんろう)の最中に屋根を一段高く 「四方唐波風」で【観月台】が目立ちます。東山からの出る月の 眺めは、侘びを感じます。
観月台 【開山堂】北の政所の兄「木下家定夫妻」も祀られて居ます。格天井 がみものです。
開山堂 【臥龍廊】 「開山堂」から「霊屋」への渡り廊下です。龍の様に曲げら れています。
臥龍廊 同じ身内でも昨日の【瑞泉寺】と比べると別世界で天と地下の違いです 【霊屋】 (たまや)の政所は、寛永元年(1624年)9月6日 77歳で逝去。此処に眠っておられます。 「おたまや」と愛称されるほどに、【蒔絵】(まきえ)が豪華で、 「五七の桐」紋を交え、特に夫、秀吉が好んだ「朝露」を、 「秋のすすきの葉に露の玉」を採り入れた「ねねさん」の気持ち が痛々しく伝わるようでした。 「花筏」「浄土の様楽器」の蒔絵には、 ねねさんの思い遣り、希望の念じ方が伝わるようでした。霊屋の 内陣に、秀吉・ねね夫人の坐像が飾られていました。
ねねさんの御廟【霊屋】 「大阪城の落城」で燃え盛る火炎を、どのような悲しみで、眺め られた事でしょうか。 更に高台に、【傘定】と【時雨亭】が昔のままに残されています。 中には自由に入れます。
傘亭 時雨亭 【方丈】は、最近立派に建てられ、【書院】では「おうす茶」も楽し 方丈庭園 観月台から南東の山を眺めますと、【阿弥陀が峰】が見上げるように 見えます。ねねさんはひとりどうにもわがままを通した秀吉の菩提を 弔っていたのでしょう。 遺言通り同じ東山連山にあって旦那が京都の都を見下ろせるところに 葬れ ねねさんは地中深くと謙虚に霊屋で眠って居られます 高台寺の石段を降りますと、市民から誰が名付けたか「ねねの道」 があります。見下ろすと 【八坂の五重塔】 が見えます。
法観寺の八坂の塔
大雲院の祇園閣 石川五右衛門の墓 同じ東山山麓に秀吉とねねは眠っています 秀吉の辞世の句に なにわのこともゆめのまたゆめと 水戸の黄門さんの「知足」足るを知る を知れば 幸せだったかもしれません 天下取りもまだものたりなかったようです 強欲には果てしがない ようです 明日は清水寺の三年坂から東山散策街道をめぐってみましょう
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