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真如堂の 奥の方と地続きに黒谷さんの敷地に辿り着きます
【金戒光明寺】 浄土宗 通称 【くろ谷さん】 法然上人さん43歳の年 比叡山の修行を終えて この地で 念仏をされた時 紫雲が全山にたなびき 光明があたりを照らしたとあり ここを念仏道場の最初の地と定められました 御影堂
少し前まで現存していた 熊谷直実の 鎧掛けの松 名木も 松くい虫の被害で昨年10月枯れて撤去されたとのことです 現在 三尊石だけで 跡形もなくなってしまいました 残念です 庭園の もみじは 僅かになってしまいました
阿弥陀堂
本尊の阿弥陀如来像は、 「恵心僧都」の最終の作で胎内に「のみ等器具」が納めてあり、 「おとめの如来」または「ノミ納めの如来」とも云われています。
山門
【浄土真宗最初門】勅額 が掲げてあります。それは、 浄土真宗の意味でなく、法然上人が説かれた、 浄土経の真の教え を始めた最初の門の意味だそうです。 法然上人は、比叡山から降りて、最初に真如堂の阿弥陀如来に お参りされた後、此処黒谷に草庵を持たれたそうです。 浄土真宗の開祖親鸞上人も「真如堂」の阿弥陀如来に お参りされたと云われています。 【吉備観音】(きびかんのん) 中国から持ち帰ったもので、栴檀香木(せんだんこうぼく)で 造られた観音像で、御影堂内に安置されているようです。 徳川秀忠の妻 【江】 (ごう) の供養塔 初めてです 春日局が家光を巡っての 確執がありましたが 江 の遺髪を治めて弔ったと言われます 春日局の思い遣りが伝わりそうです 江 の墓地は東京に 仲良く 夫婦並んで ねむっています 港区 芝公園 道上寺 浄土宗 東京タワーの側
日本三文殊の三重塔 知恵がさずかりますように
京都守護職 会津藩主 松平容保 (まつだいら・かたもり) 本陣の旧跡 孝明天皇 崩御の直前 容保に守護職を全うするように頼むと仰せられ 容保も感涙して、会津に帰ることを 思いとどまります 時の流れは 徳川家が 朝敵扱いで 会津藩もその立場に成りました 殉難された藩士また婦人の方が此処 くろ谷の 墓地で 埋葬されています 会津藩墓地の守護の 【西雲院】
会津藩が鳥羽伏見の戦いで 賊軍の汚名を受け 殉難した戦死者及び婦人の遺体が路上に放置されており 容保に恩義を感じていた200余名が 迫害も恐れず収容し 近くの寺院で荼毘に付し 回向供養したとあり 黒谷会津藩殉死の墓地を弔い守ったとのことです 会津藩墓地参道 会津藩殉難者墓地 鳥羽伏見の戦いの 殉難者墓地 故郷 会津に帰れなくって京都で葬られた墓地 会津藩墓地の由来がかかげてあります 御霊の安らかにあれと 手を合わせるばかりです 次回は、哲学の道沿いの寺社に参ります
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