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京都は最高気温38.5度日本一の猛暑と成りました 【平家物語】に登場する、【祇王】【横笛】そして「渡月橋」の 【小督】の哀話が そして【源氏物語】「野々宮神社」の悲恋。 此処「嵯峨野」に潜んでいるところに、女性の 方に人気が有るのでしょう。 三叉路に、可愛い野仏が数個道端に佇んでいました。 その三叉路を右に少し行きますと右手に 【瀬戸内晴美】 即ち 【寂聴】 さんの「嵯峨野」での私邸があり、其の敷地内に庵を 築かれました。 【源氏物語】の編集も此処で執筆されました。
曼荼羅山 寂庵 表入口 現在は一般には開放されていません。 私邸前の表札は「瀬戸内」となっています。
寂庵の命名は、作家で天台宗の僧侶 【今東光師匠】でした。
曼荼羅山は、「寂庵」からよく見渡せます山で、京都五山の 送り火中の最後に灯される 「鳥居型」 が有名です。 佛教的行事に、鳥居も珍しいですが、【愛宕神社の一の鳥居】が あるとしても五山に採用されたのでしょう。
大文字五山の送り火の「鳥居」が曼荼羅山
以前は開放され、時々「寂聴」さんとお客様が会われる機会が 有りました。 貴重な体験談 (観光ご案内して) ある母娘のお客様を嵯峨野巡りをご案内していました。 娘さんとの 子連れのお客様に、訪問をお勧めしましたが、老婆のお母さんは 瀬戸内晴美は大嫌いじゃ」と訪問を拒まれました。晴美さんの過去の 女性像を考えてのことでしょう。 中年の娘さんの説得で、しぶしぶ「寂庵」を訪問しましたら、 本当に仏の導きか、「寂聴」さんが本堂に居られました。 お母さんは、脚を痛めておられ、その旨寂聴さんにしぶしぶ 訴えられたとき、「どれどれ足を出し成され、手当てと言うで しょう、温かい母さんの手は、子供の痛みを和らげますね、 私の手には、仏さまが加護されていますので、良く効きますよ」 といって足を暫し摩られました、不思議と痛みは和らぎ、 畳の上で坐る事が出来ました。あれほど嫌っておられた お母さんは、「勿体無い」といって涙をボロボロ流して、まさかあの 有名な方に、温かく気軽に接して下さった事に、 「本当に来てよかつた一生の良き思い出になる」と歓ばれました。 先導され、貴重な体験をされました。 仏にこの日の導きに感謝を一緒にされる寂聴さんの心根が尊く 感じました。 そして一緒に記念写真を「ハイポーズ」と寂聴さんが二本指を 差し出し言われてにこやかな写真がお客様の手に残りました。 嫌いと言う前に、会って話される事で、誤解は消滅しました。 庶民的に会う機会が「嵯峨野」で会えなくなって、とても惜しい事 でと思います。 東北にも一寺を設け、東奔西走、人の心を癒されておられます。 女性のみのお話会が月に一度あるそうですが、申し込み予約が 殺到しているようです。私たちは本当に恵まれたと尊い 体験をさせていただきました。今でも良き思い出として残っています。 嫌いと心を閉じるのでなく話せば道は開く 母性の手は温かく我が子の痛みを和らげる 次回は、無縁仏の供養塔が祀られる【化野の念仏寺】(あだしの) に参ります。
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