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私の青春期に育った天台宗の環境でした。 伯父二人が麓、坂本の地の大僧正で、特に二番目の伯父は 天台宗第250世天台座主にまでなりました。 とても慈悲に富んだ心の優しさが心に残ります 1959年11月遷化 末っ子の弟であった父も其の12月後を追うように 亡くなりました余程頼りに成っていた兄であり高僧だったのでしょうね 【比叡山】 【延暦寺】 比叡山から琵琶湖を望む 世の中に 山という山は 多けれど 山とは比叡の 御山をぞいう 慈鎮和尚
根本中堂 根本中堂 延暦寺は東塔・西塔そして横川(よかわ)の三塔からなり、 【根本中堂】 (国宝)(こんぽんちゅうどう)【阿弥陀堂】 【釈迦堂】さして【横川中堂】があります。
見渡す緑の山林の一木一草にも、伝教大師の精神が染み渡り 人々の心のふるさととも申すべき聖地でもあります。 根本中堂 開基 最澄(伝教大師) 世界文化遺産に登録
平安京の王城鎮護の役も務める。都の丑寅(北東)鬼門 の位置にあります。 今から1200前延暦4年(785) 伝教大師最長が、19歳の時 に山上に草庵を結ばれ、山川草木 一切のものに、「仏性」が宿ると感得され日本仏教の母山 と称せられる様になりました。
伝教大師の教えで、 【亡己利他】 (もうこりた)己の欲を無くし、 人の利になるよう、常に心掛けること。 (注 私のプロフイールの座右の銘としています。) 【一隅を照らす。これ国の宝なり】 その人の存在により、 その周囲を明るく照らす。 されば世の中は、平和であり、国の宝となるでしょう。
【東塔】 【大講堂】僧侶の学問所で、本尊 大日如来 脇侍 弥勒菩薩・ 観音菩薩 延暦寺を本山とする、伝教大師を始祖とするも、経典の解釈に 従って、山で修行の結果、各宗教の始祖として、分かれて行き ました。 空也・法然・親鸞・栄西・道元・日蓮・一遍 等その扁額が堂内 飾られています。 他には、桓武天皇・中国天台大師・聖徳太子・伝教大師・ 十大弟子 大講堂 【開運の鐘楼】自由にお願い事して撞けます。合掌されて余韻の 音を聞かれると何ともいえない神々しさを感じます。 【根本中堂】 【国宝】【延暦寺の総本堂】三代将軍徳川家光が再建 •1. 本尊【薬師如来像】は、伝教大師最澄が刻まれた •2. 本尊の前に1200年間と灯し続けられています 【不滅の法灯】が輝いています。織田信長の焼き討ちに会いましたが 、山形県立石寺の分灯により、受け継がれています。ここから 【油断】が生まれました。 •3. 須弥壇のある【内陣】が【参拝者】の坐る中陣・外陣より低い 谷底の様な場所にあり、仏像や法灯が参拝者の目の高さに来て いるのは、「仏も人も一つ」と言う仏教の【仏凡一如】の思想を表現 している意で、僧侶は低い内陣から祈祷されています。 即ち天台宗の仏殿様式は、僧の謙虚さを表しているとも思われます。 •4. 中陣は、挌天井形式で、板には、百花の図柄が掲げてあり 、家光により、各大名が献花したもようです。 •5. 太い檜の柱は、一本の木の芯を避け、4分の1の柱で、 原木の太さが想像されます。 同じ「東搭」ですが、「講堂」より西の方に、【阿弥陀堂】が有ります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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