沖国大文学(上)
「沖国大文学」第16号の作品をジャンル別にみていきたい。今回は詩について。■きなこ「初めての聖夜」「永遠に」。特集「時間」の中に2編。「初めての聖夜」は〈プレイ〉〈十八歳〉〈女の子〉というダイレクトなキーワードがそのまま使われていて、非常にきもちわるい。片づけをして出てきた過去の遺物に対し、距離感なく〈初めてのものほどいいものはないよな〉と結論づける成長のなさ。暗示的であるようにみえて実は直接的な表現で、自覚的に描いていると思われる。作中の主人公は対象化されており、キモさのよく表れた作品。「永遠に」は先の作品と似たようなエゴイスティックな想念を描いているようだが、あえて対象化されておらず、自らが描く想念の中に埋没したような視野の狭さ。だからこそロマンティックでもあり、かつエゴイスティックでもある。最後はやっぱり一人である。わたしはこっちの方の作品に惹かれるのだが、作者の思いはもう少し深くて一歩も二歩も引いている可能性もあると思う。もしそうであればわたしは作者の意図にまんまとはめられたことになる。それはそれで楽しいものだ。■ゆみ「時間」「時、技術」「星」まず特集「時間」に2編。「時間」は題名通り、テーマの「時間」に直接取り組んだ作品。テーマに沿った作品でも、テーマを入り口にしただけなのか、テーマとがっぷり四つで組み合うのか、作法には2通りある。この作品は真正面から取り組んでいる。そして時間とは何かということが〈事実がそこにある瞬間を生み出す〉の1行に暗示される。時間は瞬間の積み重ね、そして瞬間は事実の積み重ねの上に輝く。その前の3連、夕焼けや夕闇に消えていく時間の中から〈しがみつく〉ものをすくい取り、最後の3行で人の営みに視線を向ける。時間とは人間が生み出した概念であり、意識しなければ存在しないものと同然である半面、意識すればそれは厳然としてあらがいがたいものとして存在する。人の営みとは切り離せないもので、それをしっかり見つめて書かれた作品。そして「時、技術」。歴史の中で人が進歩させてきたさまざまなことを肯定的に描く。〈遠い技術〉は人の笑顔を生み、〈揺れる時間〉が超えていく光を見つめる。〈あ。いまひかる〉のリフレインが少しずつ変化しながら、効果的に流れゆく時間の中で人間が超えてきた苦難、人類が克服してきた歴史をも俯瞰する視点を提示する。2編を通して読むと、数十億の喜怒哀楽も宇宙の闇の中の小さな光の一点である、しかしその小さな点が希望の象徴なのだというようなイメージさえ読み手が広げられる読み応えのある作品。特集「星」に「星」。〈星の見えない女〉と〈星の見える男〉がともに歩む。結局はめがねがないということなのだが、それを笑う〈単純な〉男を女は肯定する。遠くで光る、消えていく星々よりも目の前に、足下にあるものの確かさを信じたい、そっちの方をより確かであることにしたい。〈絶対〉という言葉の不確かさが浮き立つ。遠回りして男を見ている女は、その遠回りの思考で〈単純〉な男を見ていて、その単純さにこそ惹かれているということにもまた自覚的だ。世に溢れるラブソングは、みなこの作品ぐらい哲学的であってほしいものだ。3編とも秀作。■alia「ずっと……」「星に願いを」特集「時間」に「ずっと……」、特集「星」に「星に願いを」。テーマを入り口にしてかかれた2編。同じ特徴を持っている。特に「ずっと……」が顕著だが、オリジナリティよりも普遍的な題材に対してよりベタな手法で接近しようとする。通じるのはたぶん王道パターンの決まっているポップスの歌詞であったり、テレビアニメだったり。芸術作品よりも工業製品に近い指向性を持つ。その技術がずば抜けていれば谷川俊太郎のような職人の方向性になっていくのだろう。わたしはどちらかというと「ずっと……」の方に惹かれたのであり、こんな詩もあっていいと思う。だから作品を通して作者を見ることなく、ただ目の前に置かれた細工物に対して興味を持つような読み方もあっていい。■吉田「白い怪物と彼が存在しない星の夜」十二星座の物語をたどる詩行から立ち上がる〈じゅうさんばんめの、〉何か。イメージの喚起力がある知的な作品。まがまがしいイメージが描かれ、しかもそれが〈宇宙の真ん中〉であり、世界が〈こんなにも〉生きていることを感じさせる存在であるという。悪魔のようなイメージであるけれども、もしかしたらそれこそが人間なのかもしれない。平易だが奥行きのある作品というのは、教養がないと書けないものだと思う。■耶麻「星が綺麗ですね。」「星が綺麗ですね」に〈あなたがすき〉とルビを振る力業。このたぐいのことはやったもん勝ちだから最初であるとか独自であるとかいうこととは別の次元ではあるが、それにしてもすごい。■星之亜理「詩人」〈言の葉を偏食した詩人だ/今は亡霊のように存在する〉。長い歴史の中でくさるほど多くの書き手がいて、膨大な言葉が生み出され、有象無象の詩が存在する。その中で人々の記憶に残り、その記録を求める人々が居続ける詩、詩人というのはよっぽどおかしな、超絶エキセントリックなやつだったんだろうということに思いをはせる。長大な時空をパッケージしたイメージは、図書館の本棚を想起する。独特の色を持った、静かな作品。■青島海人「気紛れなる猫よ。」〈あなたはどうして、気紛れなのか。〉。大いなる問いである。たしかに、これは。猫まっしぐら人間としては見逃せない作品。■黒羽「こえ」〈僕の中から〉聞こえてくる声。僕を呼ぶ声。声の主は僕なのか、僕の中の誰かなのか。短い作品だが、余分な言葉を用いず普遍的な問いに接近しようとする。読む者を考えさせる佳品。触れられなかった作品、作者もあるが、それぞれに色を出していた。詩だけをみたが、ページ数に負けず、内容的にも充実していると思う。つぎはイラストをみてみる。