カテゴリ:読書
橋本治著『「わからない」という方法』を読了しました。
目次を書き出しますね。 -- <目次> 第一章 「わからない」は根性である 第二章 「わからない」という方法 第三章 なんにも知らないバカはこんなことをする 第四章 知性する身体 -- 興味を持った点を、まとめます。 -- 1「わからない」は、方法となるのか? (1)「自分は、どうわからないか?」 ↓ 「わかる」に至るための方向 その方向に進むことだけが「わからない」の迷路を切り抜ける「方法」 (2)「わからない」という恥 + 「正解がある」は二十世紀病 「自分の知らない正解が、どこかにあるはず」 ↓ 二十一世紀は「わからない」の時代 「なんでもかんでも一挙に解決してくれる、便利な"正解"」は、幻想の中にしか存在しない (3)「わかる」とは、納得することである わかって行くプロセス=「我が身を納得させる期間」 2 脳と身体の関係 (1)脳は哀れな中間管理職 脳は、「世間」という上司に振り回されている。 「身体」という部下を持つ。 (2)脳は、部下達をあまり信用していない <脳(中間管理職)から見た、身体(部下)の印象> ・状況を把握していない ・のろま ・頭は悪いし、すぐにさぼる <身体(部下)から見た、脳(中間管理職)の印象> ・部下達を顧みない ・「世間」という、さらなる上司の顔色をうかがってばかりいる「最悪のやつ」 脳(中間管理職)は、「身体論」という、はやりのハウツー本には目を通すが、肝心の「部下の心」は目に入らない ↓ 「おめーなんかが出世したら、世の中終わりだよ」と、身体(部下)は脳(中間管理職)の悪口を言う ↓ 体がだるい 疲れやすい 効率が上がらない 将来の展望が見えない 将来の展望がもてない 3「説明」は、作家の基本である (1)「説明なんか、めんどくさい」 作家というものを、「書きたいことを勝手に書いていればいい人間」だとしか思っていなかった (2)知らない人は、どこまでも知らない 「作家」というのは、「文章で、人になにかを説明する職業」なのだから、「語るべきことを相手の理解に届くように語る」は、作家の基本 4 天を行く方法と、地を這う方法 (1)天を行く方法 「なんにもわかんないもんね」のまま、正面から強行突破を果たす ↓ 「バカになって、やる」 (2)地を這う方法 「わかんない、全然わかんない」とぼやきながら、ひたすら持久力だけで問題を解決する ↓ 「地図をなくしたから、磁石だけを頼りに、ひたすらトンネルを掘り続ける」 ↓ 「バカだから、そうするしかない」というところまで、追いつめられる 5「忘れることが、最大の記憶法である」 人間の身体は、「そんなものを取り込む必要はない」と思ったら、どんなものでも入らない。 「入れる」ということは、「その情報を入れてもいい」と、身体が納得すること ↓ 「"わかる"は納得であり、納得するためには、時間がかかる」 入ったものは、「忘れた」という形で、身体にキープされる 結論:身体が「頭がいい」 -- 書き出した点を踏まえて、説明しますね。 ※ 私は、わからないことがあると、文章を書きます。 最近では、ノートに書き出すことが多いです。 「わかりきったことを書く」のではなくて、「わからないことが何なのか、はっきりさせるために書く」です。 私にとって、「文章を書く」ことは「確認テスト」のようなものです。 書いている間に、知らないことや、気がつかなかったことが、出てきます。 知らないことは、調べます。 気がつかなかったことは、改めて考えます。 「わからない」を続けるためには、根気が必要です。 インターネットで検索したり、誰かに教えてもらったりして、「わかった!」と、すぐに納得できたら、どんなにか、気が楽でしょう。 しかし、私は「納得するまで、情報を受け入れられない」ようなのです。 理由は単純明快で、「頭が悪いから」です。 私は、年号や地名、人名といった、丸暗記が苦手です。 「暗記が苦手なのに、歴史が好きなの?」と驚かれる方も、いらっしゃるかもしれませんね。 私が歴史を読む時は、ストーリー仕立てのパターン認識を行っています。 細かい検証が必要な時は、ノートに書き出します。 私の脳が、「これは重要なことなんだ!」と叫んでも、身体が「受け付けない」と考えれば、辻褄は合います。 何度も同じ人名を書けば、そのうち覚えます。 地名や年号に関しても、同じです。 私が、物事を覚えるまでの時間は、「我が身を納得させるための期間」です。 私の場合は、少なくとも、人の3~4倍の労力を費やさないと、物事を覚えることができません。 その間、ひたすら「わからない」を繰り返します。 橋本さんの表現を借りれば、「地を這う方法」です。 周囲の人達が、「あの人は、いつになったら覚えるのだろうか?」と思うくらい、「わからない」を繰り返します。 私の中で「こっちへ行けばいい」という方向は、決まっています。 ただし、一つずつ確認して実行するため、非常に手間がかかる方法です。 要領を良くするための方法を、考えたこともあります。 けれども、「無駄を省いたところで、物事を覚えるまでの時間が、短縮されるわけではない」と気づきました。 結局、「すぐには役に立たないだろうなあ」と思いつつ、気長に続けます。 「説明が面倒」でも、自分を納得させるために、文章を書きます。 私自身のことですから、納得しなければ、先に進めません。 「自分に対して、説明する」というのは、おかしな表現かもしれません。 しかし、最初の読者が、他ならぬ「私」であることを考えれば、理解しやすいと思います。 文章を書く「私」と、文章を読む「私」。 どちらが欠けても、書くことが成り立たないのです。 【参考文献】 橋本治著『「わからない」という方法』(集英社新書) 集英社 2001年4月22日 第1刷 発行 【関連記事】 スマートノートの概要 「わかったつもり」に気づく時 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014.05.03 18:08:29
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