テーマ:起立性調節障害(OD)(81)
カテゴリ:起立性調節障害
「学校に行かなくても大丈夫」とか
「必ずしも学校に行く必要はない」とか。 そういう思いが大部分を占めてきているのですが、それでもやはり「不安」というものはあるわけですよ。 それは何かと言ったら、「体験してないことに対する不安」なんだろうなぁと。 学校に行かなくても~っていうのは、いくらでも言える。 それはまぁ、子どもの不安を取り除くためでもあるし、自分の不安をかき消すための呪文でもある。 学校に行ってなくても、生活している人がいる、そういう人がいるということは、情報として知ってはいる。 でもそれは、自分が体験したことじゃない。 実際に自分がそういう体験をしたのならば、「大丈夫」っていう言葉には実感がこもってくる。 逆に、学校に行かなかった(行けなかった)から大変な思いをした、だからそういう思いはしてほしくないってのもあるだろうしね。 でも、私はそうじゃないからな。 自分は学校に行って、今はまぁそれなりに生活している。 学校に行かない人生を知らない、経験してない、だから、ほんとのところどうなるのかはわからない。 学歴は関係ないとか言いつつ、やっぱりあるであろう学歴の壁というか、そういうものがあったりするから、余計にね、不安になるんだろうな。(っていうか、学歴を重視するような仕事に就くのか?それさえもわからんのにね~) そう、未来はわからんのだ。 一応学校に行って卒業した私だけど、この先どうなるのかだって、わからんのだ。 ムスコの未来だって、どうなるのか、そんなのわからんのだ。 わからないから、不安。 それはきっと、誰でも同じ。 でも、その不安なことばかり考えていても仕方ない。 だって、わからないから~。 あんまり先のことはわからないし、不確定だから、悩んでも不安が増すだけ。 でも、ちょっと先のことなら、悩んでも、選択肢が見えやすいのかも。 ムスコのことで言えば、まぁまだ1年先だけど、進学のこととかね。 その先のことはまた時期が来たら、悩んで考えればいい。 今から、将来生活できるのか、とかそんなこと悩んでも始まらないもの。 起立性調節障害(OD)ってこんな病気 NPO起立性調節障害ピアネットAlice お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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