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カテゴリ:日常
昨年度までの同僚、K先生から電話があった。わざわざ「内地留学終わりました」という連絡をくれたのだ。
内地留学の希望者募集の際、彼女に(以前から「機会があれば勉強したい」と言っていたのを知っていたので)「応募したらどう?」と声をかけた。彼女は「もう少し勉強してからにしようと思ってます」と言った。僕は「そんなことを言い続けているうちに意欲も萎えていくのが普通の人。勉強は知識のある人がすることではなくて、知識を身につけたい人がするものだ。」と彼女に言った。 かつて、「大学院に行きたいのだが、どうしたらいいのか」と友人に相談を受けた経験がある。一通りの話をして、「で、いつ受験するつもり?」と聞いたら、彼は「もう少し勉強してから」と言った。そんなことを言わずに、すぐ受けた方がいいよ、とアドバイスをしたら「今、5年生を担任しているから今の学年を卒業させてからかな」と答えた。直接は言わなかったが「あ、この人は永遠に大学院には行かないな」と思った。 教育委員会推薦とはいえ、入学試験に合格しなければ大学院には入れないのだから、彼の言うように勉強は不可欠である。だが、大学院は「入ってからが勝負」というところである。個人的な経験から言わせてもらうと、大学院に入る前に身につけていた知識は、研究にはほとんど役に立たなかった。文字通り「一からやり直し」で勉強をした。それまでは研究の仕方すら満足に知らなかったのだから、役に立つ知識がなかったのは当然である。そもそも大学院に入る前に十分な知識が身についていたとしたらわざわざ「入院」する必要はないのだ。 そもそも大学院での研究に見合うだけの学力がついているかというのは実際に試験を受けてみないと分からない。受かれば入学(入院か?)できるし、落ちれば次回受ければいいだけのことである。 では、大学院で何が役に立ったかといえば「意欲」である。「何が何でも勉強したい」という意欲があったから大学院を受けたわけだし、「これは面白い」「何とかものにしたい」と思うものに出会えたから(はっきりいって辛い)論文執筆が出来た。(だから、小中学生の学習も「意欲」が大切だ、なんてことは言うつもりは全くない。これは「大人」の、しかも「研究」の話である)。 チャンスが来るまで待つ、というのは、打てるボールが来るまで待っているバッターみたいなもので、待っているところにボールが来なかったら永遠にバットを振る機会はやってこない。第一、ボールが来たって打てば必ずヒットになると保証されているわけではないのだ。 むしろ、「まず打つ」「何が何でも塁に出る」という気概でバッターボックスに立つべきである。悪球打ちでもデッドボールでも、塁に出てしまえば後は何とかなる。大学院(内地留学)も同じようなものである。本当に研究したいという気持ちがあれば、実力は後から十分につけられる。 K先生は電話で「『研修の機会は待っていては絶対に来ない』って言われて願書を出しました。今、本当にその通りだったと思います。」と話してくれた。おそらく、今後も研究を生かして学校のリーダーとして活躍していくだろう。喜ばしい限りである。 彼女と話していて、僕も元気が出てきた。さて、そろそろ論文を書き始めますか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.09.27 22:39:49
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