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カテゴリ:仕事
授業で「漢詩」を扱った。たまたま中国出身の生徒がいたので原文で読んでくれた。脚韻は漢字の音読みからではよく分からないが原文を聞けば「なるほど」と思う。抑揚、響きが耳に心地よく、昔の日本人が朗詠に憧れたのが何となく分かるような気がした。
大学3年の時「漢文学演習」なる講義を取ったことがある。必修ではなかったが卒業単位に換算してもらえるし、もともと漢文は苦手ではなかったから出席していれば何とかなるだろう、と考えていた。これが大間違いだった。漢文とは名ばかり、実際には現代中国語の勉強だった。 中国語の勉強は「四声」の修得から始まる。媽、麻、馬、罵、片仮名で書けば同じ「マー」となるこれらの文字を音の高低と長短とを組み合わせて区別するのである。これはまだ易しい方で、漢字の音読みなど全く当てにならない中国語の発音は、聞いていると頭が混乱するばかりだった。 受講生は4人、順番はすぐに回ってくるので気を抜く暇もない。予習しようにも何と読むのか分からない。僕が指定された場所を音読すると先生が哀れみとも軽蔑とも取れる視線を向けてくるのが辛かった。 このまま受講を続けるか、それともドロップアウトするか、真剣に考えていた夏休み前のある日、たまたま本屋でテキスト準拠のカセットテープを発見した。少々値が張ったが、3月まで拷問のような時間を過ごすよりはまし、と購入。 友人たちがウォークマンで好みの音楽を聞いているのを横目に、僕はひたすら中国語を聞いていた菅平の合宿中も寝る前の30分は布団をかぶって発音の練習をした。夏休みが終わる頃には自分でも舌が動くようになっているのが分かった。 迎えた休み明け最初の授業。僕が教科書を読み終えると、先生が「君が中国語を発音したのを初めて聞いたよ」と褒めてくれた。「では、ここを読みなさい」と言われたところもすらすらと読んだ。以来、先生の見る目が明らかに変わったのを感じた。いくら語学の才能が乏しくても、毎日のようにテープを聴いて発音練習を繰り返していれば、向上しない方がおかしい。当然と言えば当然の結果だったのだが、それでも嬉しかった。 年度末、先生の出す簡単な問いに中国語で答えるという試験があった。その場で合格を言い渡された後で、先生は「入門当初は全くの劣等生だったが、夏を超えた当たりから別人のように良くなった。」と褒めてくれた。その後、「どうだ、来年も中国語の勉強をしないか」と誘われたのだが、既に自分の能力がよく分かっていたので止めておいた。やはり、「マー」の繰り返しより音楽を聞いている方が楽しかったのである。 あれだけ苦労して身につけた中国語、今ではすっかり忘れてしまったけれど、時々生の中国語を聞くとあの頃のことを思い出す。勉強して良かったか、と聞かれると答えに窮するが、大学生活の1ページだったのは間違いない。 もう一度、四声から勉強してみようかな お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.10.22 22:25:42
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