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カテゴリ:日常
新井白石は知らない事物に出会うと「恥イボ」が体にできたそうだ。もし、僕にも恥イボができるなら、今年に入ってからは全身恥イボだらけになっていたに違いない。
今勤めている学校の校歌は、野沢一郎という人が作詞したものである。今の東京工大を出た後、建設会社巴組を設立した人である。体育館の天井を見ると鉄骨が菱形に組んであることが多いが、実はこの方法を発明したのが野沢氏である。 なぜこのような人が中学校の校歌を作詞したかといえば、彼がこの地区出身だからである。彼自身は今の僕の勤務校を卒業したわけではない(学校制度が違うからである)が、字本の出身地に新しくできた学校に期待するものが大きく、体育館等、多額の寄付をしてくださった。校歌の作詞も郷土の後輩への思いが込められている。 野沢氏作詞の校歌には度々「五常」という言葉が出てくる。五常とは論語に出てくる、人が必ず身に付けるべき心構え、態度とされている。 「仁」・・・仁義・真実・まこと・誠意 「義」・・・正しいすじみち・義理・すじ 「礼」・・・礼儀 「智」・・・知恵・ちえ・認識 「信」・・・信義・誠・確信・信ずる 以上が「五常」である。恥ずかしながら、この歳まで「五常」の存在など全く知らなかった。「恥イボ」間違いなしである。 ところで僕が感銘を受けたのは、建設会社の社長兼エンジニアであった野沢氏が、論語の中に述べられた「五常」の大切さを後輩に伝えようとした点である。ともすれば、財界で大成した人が資産運用方法を小学生のうちから学ばせようとしたり、数学者が数学の大切さを主張したりするなど、自分の専門分野の重要性を語ろうとする中で、野沢氏は世論に逆行(新制中学校が誕生したのはGHQが日本を占領している最中であった)するように「五常」の尊さを説いたのだった。これを僕なりに解釈すれば、五常を身につけた者でなければ社会に出てから「人物」にはなれない、ということを示しているのだろうと思う。温故知新、また本物は不易である、ということになろうか。 道徳教育が見直されている中、もう一度論語を読み直してみるのも悪くない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.10.25 22:57:15
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