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カテゴリ:人間学
人生何が起きても、動揺することなく毅然と立ち向かっていくことは難しい・・・
《【今日のことば】より 「余は今まで禅宗のいわゆる悟りという事を誤解していた。 悟りという事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思っていたのは間違いで、 悟りという事は如何なる場合にも平気で生きている事であった」 --正岡子規 夏目漱石の親友で俳人の正岡子規は、すぐれた随筆家でもあった。 上に掲げたのは、その随筆『病牀六尺』の中に書かれたことばである。 子規は、学生時代から結核を患っていた。肺を蝕んでいた結核菌はやがて背骨をも侵し、脊椎カリエスを発症。漱石が熊本に赴任した明治29年(1898)4月頃には、ほとんど寝たきりの状態になる。 明治33年(1900)9月、漱石が英国留学へ出発する折には、もはや互いに生きて顔を合わせるのは無理だろうと覚悟を決めるほどであった。 子規は体の痛みに苦しみ、身動きできぬ煩悶に苛まれる。 時には絶叫し、号泣する。それでも、猛烈な食欲と表現意欲で自己を支えた。自殺の衝動と闘いながら、枕元の小刀と千枚通しのスケッチをしたこともあった。(ネットより)》 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.10.13 23:42:00
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