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カテゴリ:政治
商工会議所の全国会議があり上京しましたので、市ヶ谷台に立ち寄ってまいりました。ここには現在「防衛省」が置かれており、国の安全の中枢を担っている施設となっています。建物は茶色の壁とグリーンのハチマキが特徴で、中には180m程のアンテナを備えた建物も見えます。厳しい警備の表門を通るとすぐに受付があります。ここで係の人の説明と手続きをしますが、この門の内側にはすぐに大階段とエスカレーターがあります。「市ヶ谷台」というくらいですから、標高は31mで都内第2くらいの高地となっているそうです。
400年前、徳川政権が江戸開府の後、諸藩の上屋敷を江戸城外に置くことになりましたが、その時まずここに手を挙げたのが仙台藩 伊達政宗公とのことです。しかし、他にも大藩の諸公がここの台地を所望したため、折り合いがつかず結局親藩御三家の筆頭 尾張徳川家がこの台地に上屋敷を構えることになったそうです。 200年の時間経過の後、明治になって尾張藩はこの台地5万坪を明治政府に返上し、7年には兵学寮が設置されました。昭和12年には陸軍士官学校が、また昭和16年には大本営陸軍部、陸軍省、参謀本部が置かれ、先の大戦の実行本部となっていました。その後は敗戦を経て米軍に接収、極東国際軍事裁判所、米軍極東軍事司令部として戦後処理の中枢となりました。 昭和34年米軍より返還の後、陸上自衛隊東部方面総監部が、また平成12年5月からは防衛庁・現在防衛省となっています。大戦の終盤には、この大本営を当地松代に移設すべく、突貫工事をして地下壕を作っていたことを思い、人々の苦労と戦の無謀さに思いをはせたツアーとなりました。 現在この市ヶ谷台には、防衛省の職員の方々約10,000人が勤務しているとのことで、省内広場のあちこちでは転退職の方々を送る拍手や、儀仗訓練の掛け声が聞こえ、平和の中での国土防衛について、常備している姿が頼もしく思えました。オマーン湾に向かった艦船の無事帰還もお祈りして、門の外に退出いたしました。 パンフレット左側の記念館には 東京裁判の法廷や陸軍大臣室、 三島由紀夫自決のバルコニーが移築されています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009年03月21日 13時55分09秒
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