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テーマ:塾の先生のページ(7839)
カテゴリ:いろんな雑談
Sachi-netのさち先生の、ヒトの悪口に関する記事に大いに共感しました。
私も便乗して書きます。 私も入塾の面談をしていると、 「いままで○○塾にいたのですが、どうもイマイチで・・・先生は熱心に指導してくださると伺ったものですから、今後はこちらの塾でお世話になろうかと思います」 と他塾の悪口を言う人によく遭遇する。 確かに他塾と比べて私の塾のことをほめてくれるのは嬉しいけど、 「ああ、この人は他人の悪口を言う癖が抜けない人だな」 と、冷静に構えてしまうのも事実だ。 さち先生の仰るように『明日は我が身』だ。 「この人は他塾の先生の悪口を言ったのと同じ口で、俺の悪口も裏で言ってるんだなあ」と勘ぐってしまう。 悪口を言う人は、あまり信用してはならぬ。 しかし悲しいことに、人間の性(さが)とでも言おうか、他人の悪口は禁断の旨みを持っている。 我ながら性格悪いと思うが、ヒトの悪口を言うのは実に楽しいことでもある。 特に酒の席では、その場にいない人間の悪口が大いに盛り上がるのは、紛れもない事実だ。 誰かの悪口を言うにしても、みんなから悪口を言われまくっている、パッシング進行中の人間の悪口を言ってもつまらない。 いまさら、村上ファンドや細木数子の悪口を言っても刺激がないのと同じことだ。 すでに世間から爪弾きにされていて、誰もが非難している「無難な人間」の悪口を言っても、場は盛り上がらない。 逆に、誰にでも評判のいい、悪口を言われたことがなさそうな人の陰口は超刺激的だ。 たとえば、誰もがほめたたえているが、しかし自分は世評に反してこいつは絶対ムカつくと秘かに思っている、A氏という人がいるとする。 A氏には誰も悪口を言わない。「悪口処女」の純潔さを保ち、みんなA氏のことを賞賛する。でも俺はA氏が大嫌いだ。 そんなケースでは、A氏が嫌いなのは自分だけかと思うと、妙な孤立感を覚えイライラしてしまう。 皆が大好きなA氏を嫌っている俺は性格が悪いのかと自己嫌悪に陥るし、A氏に対する不満が嵩じて自家中毒を起こしてしまう。 そんな時に、誰かがタイミング良く「俺はAが大嫌いだ」とA氏の悪口を言ってくれると、快哉を叫びたくなる。 「実は俺もだよ」「だろう、Aの奴ムカつくよな」 A氏の悪口を言い合う2人は、地下組織の秘密結社の同士みたいな怪しく熱い連帯感を持つ。A氏嫌いをカミングアウトした熱狂に酔う。 その後、誰もがA氏の悪口を言うようになり、A氏へのパッシングが始まってしまったら、A氏の悪口の面白さは一気に消え失せるのだが。 とにかくも、ヒトの悪口は仲間の連帯感を強める。オバサンの井戸端会議もそうだろう。 オバサンは誰かをターゲットにして陰で悪口を言い合うのが楽しくて仕方ない。 他人のほめ言葉では会話は盛り上がらないが、悪口では大いに興奮する。 悪口を言い合える仲間同士の、閉鎖的な居場所がおばさんには心地よい。 そんなオバサンの閉鎖的な連帯に、さち先生が指摘されるように、塾の先生は絶対に付き合ってはならない。 私は「悪口は快楽」などと、いかにも性格悪そうなことを書いているが、実はあまり人の陰口を叩いたりはしない。悪口は本人の前で言うことにしている。 時には他人の悪口陰口を言うことで、言った人の性格の良さが逆に顕になる稀有な人もいるが、綱渡りのような高等戦術なので素人は絶対に真似してはならない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006/06/20 09:03:06 PM
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