カテゴリ:家族
昨日の朝、「離婚を考えている」という手紙が友達から来た。
彼女は十数年も前に結婚し、マイホームも手にいれ、堅実な人生を送っていた。 彼女は逆に私に対して、35歳にもなってからポンとロンドンへ来て仕事をしていることを「自分にはできないこと、できなかったこと」と思って羨望の気持ちを持っていたこともあるらしいが、根無し草のような私からすれば、彼女のほうがよっぽど不安が少ないだろうと、お互いにないものねだりをしているようなものだ。 十代の頃は、彼女と私は性格が似ているからつきあっていると思っていたが、彼女は私のようなダメ嫁とは大違いで、主婦としての仕事を楽しみ、パートでの会社勤めをきっちりこなすデキた女性であることがよくわかってきた。 彼女とは連絡の回数に関わらず切れない絆が出来上がっているが、彼女とのメールや手紙や会話でいつも不思議だったのは、彼女の人となりにご主人の陰が見えないことだった。 もちろん、彼の話はいつも出ていたし、私もどんな人かは知っているが、なんというか、彼女からは「彼女自身」以外どうしても見えず「二人三脚の一部分」としての彼女がいつも不在だった。 彼女たちには子供がいない。 どうも子供ができなさそうだったが、彼女は不妊治療してまで子供がほしいと思っていなかったし、ご主人も二人でやっていけたらいいやんと思っていたみたいだった。 しかし、彼をずっと信頼していた彼女は最近になって彼のカバンを開け、その中から、継続してきたのであろう浮気のはっきりした証拠と、不妊治療の名医の資料が出てきてがくぜんとしてしまった。 彼女の手紙には「なんで子供がほしかったって言ってくれへんかったんやろ?子供がそこまでほしくないと私が言ってたことはそんなに悪いことやったんか?」と書いてあった。 彼女には絶対言えないが、私は、彼がその時考えていたことは、たぶん「誰かコイツではない女性との子供がほしい」ということだったのではないかという気がする。 彼女が考えている離婚の背景には、私にもわからないいろいろな要素があるだろうが、子供がいないことって、そんなに夫婦の形を不完全にしてしまうのかなぁと思う。 私とダンナの間にも子供はいないし、その兆しもなく、私も彼女と同じ考えで、生涯の間に絶対子供が産みたいとは思っていないし、ダンナも二人でやっていこうと言ってくれている。 40歳になってしまった今、これから子供ができたら、うれしいという気持ちと同じくらい、今後の生活や人生への不安が持ち上がると思う。 私とダンナの周りは、二人とも晩婚だったこともあり、「子供はまだ?」とかいうプレッシャーは一切ない。 そりゃ、たまに知り合いから「子供はいたほうがいいよ~、人生観変わるよ~自分も成長するしぃ~」などと勝手なことを言われることもあるが、私にすれば「じゃかぁしい、ほっといてんか!」だったので、笑って黙殺することが私にはできた。 でも、比較的若くして結婚した彼女は、家族や親戚からも「子供はまだ?」攻撃を受けていて、形程度の不妊治療をしたこともあった。 よく彼女と私とで「これから『子供はそろそろ産んどきや』って言われたら『なんかあったら、アンタが育ててくれはるの?』て切り返してやろかぁ?!」なんて言っていた。 イヌやネコを飼うのと違って、飽きたからやめた、というわけにはいかないし、子供ができた時点で、死ぬまで放棄できない事業になってしまうかと思うと、それはそれで不安に感じられる。 結婚すると(しなくても)、誰でもだいたい子供ができるわけだが、みんなえらいなぁと思ってしまう。 自分のできないことを普通にやっている人があちこちに山盛りいることを考えると、脅威だ。 はっきり言ってしまうが、私は彼女のご主人は最初に会った時(婚約時代)から好きではなかった。 たくさん根拠があるわけではなく、直感で、他人を尊重する気持ちに欠ける人だと感じていたが、二人が幸せだったら、外野がごちゃごちゃ言うことはないと思っていたし、そう思っていたことは彼女には一度もなかったが、その直感があたってしまったという軽い衝撃もある。 彼女がはっきり気持ちを固めて、本人や家族に決心を告げるところから、その後の事務的な過程では、彼女はやはり彼と暮らしてきた短くない歴史にさいなまれてつらくなったり、自分を責めたりしてしまうだろうと思う。 でも、将来を考えてやらないといけない子供がいないのだから、それを逆手にとって、彼女にはきれいさっぱりやり直してほしい。 そろそろ日本に帰省するのだが、彼女に会ったら、私はそう言おうかなと思っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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