カテゴリ:雑感
午前4時になってしまった。
今さら眠れなくて、父のパソコンに向かったところ、楽天は定期バックアップ中。 んー、そうか。 ロンドンでだったら、だいたい夜8時くらいが楽天に触っちゃいかん時間なのだが、こっちはそのまんま午前4時がバックアップタイムだったことに今頃気づく。 眠れないのは時差ボケが理由であるというより、今日(正確にはもう昨日だが)見つけたいろいろな苦い思い出の記録のせいで、いつまでも胸が騒いでいるからだと思う。 苦い思い出の中で、これまでに録り貯めしてきたテープの話は昨日も少し書いた。 それ以外に、ほんとに自分をぎゃふんと言わせるほどのものが、テープ以外にもいろいろ出てきた。 今日はまず影響の少ないところから…。 いやー、出てきました。 中学や高校時代の学校での自分の記録。 中学時代は、まぁ勉強もしていたけど、とにかくクラブと生徒会活動に明け暮れており、その時代を眼前につきつけられるようなファイルの数々。 自分が委員長をしていたいくつかの会報紙。 それも自分の手書き。 字だけはきれいにかかないと、という意識があったと見え、今読んでもちゃーんと書いていることに驚いた。 もう25年ほども前のことなのに、そう言やこんなことやってたなぁ、書いてたなぁと、思いもかけず、当時を偲ぶ時空間が出来てしまった。 それから、これも今見ても結構感心したく(あるいは、自分で自分をほめたく)なるくらい、きちーっと書き綴った高校時代の勉強のノート。 倫理社会とか政治経済とかは今読んでも、案外ふんふんという感じがするが、出てきたのは他に化学や数学のノート。 「非」理系の私としては、このような類のノートは自分が書いたということだけはわかるが、中身はもう今見てもさっぱりわからない。 ロシア語を読まされたほうが、まだわかるのではないかとさえ思ってしまう。 もともと、勉強は人に言われなくても好きだったし、今でも機会を見つけて、数学や物理のアーティスティックな部分にもう一度飛び込んでみたいとも思うのだが、その機会に恵まれないことを大義名分にして、高校時代からほったらかしになっている。 生徒会や文化活動や授業のノートが見つかっただけなら、それはそれで自分自身を「正当に」振り返ることもできよう。 しかし、見つかったもっとやばいものは他にもあった。 ずばり 1)友達との交換日記 2)自分自身の日記 3)作詩ノート …こんなに恥ずかしいものが他にあるだろうか… 当時のはやりのキャラがついたノートの表紙を見るだけで、だいたいなんのノートだったかが瞬時にフラッシュバックし、こっぱずかしくなった。 そのこっぱずかしさたるや、この楽天のページの非ではない。(と言いながら、このページが20年経ってまだ残っていたら、おそらく違う種類のこっぱずかしさをまた感じるのであろう。) ばりばりの京都弁で育ったくせに、友達と書いている交換日記はテレビに出てくる標準語の女子高生の世界である。 で、内容は、自分たちがそれぞれ想っているお目当ての○○クンが今日はこういう思わせぶりな態度をとったけど、あの意味はどう考えればいいのだろうとかなんとか。 読んでて、おかしさとはずかしさで思わずふるえてしまった。 自分自身の日記も似たようなもので、その頃、一人で人生の最大の悩みにさしかかったと思いこみ、あーだこーだ、あっち行ったりこっち戻ったり…でも、その時は笑えなかったのよね。 それに、当時はヤマハのポプコン全盛時代であり、ニューミュージックの台頭の時代であったことが手伝い、自分もそういうラブソングを書いてみようとして、思い切り詩を書き貯めていた。 爆発的内容が満載だ。 恥ずかしくて、やっぱりここで引用はできない… 結婚してしまった今では、どこをどう振っても出てこないような恥ずかしい言葉が当時はいかに頭をよぎりまくっていたかということが偲ばれる。 気に入った詩には、余白にドレミで節なんか書いちゃって、こういう曲をつけようと意欲的にやっていた形跡もある。 隠したいような、残しておきたいような、いろいろな自分の過去に思わず出会ってしまったが、やっぱり月並みだけど、その時その時、一生懸命に「私づくり」をやっていたんだなということを感じてしまった。 今の私にそういうパワーはあるだろうか、どちらかというと、後半分に近づいた人生にあきらめが支配していないだろうか。 せめてこの日記の中だけでも、今の自分の目線での何かを書き続けられたら、何もしないよりはいいという妥協点に、今、立っている気がする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005年03月28日 09時22分02秒
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