カテゴリ:仕事
別に何が大きく動いているというわけではないが、ちょっとこのところ、気持ちが揺れている。
本当は、週に一回くらいダンナがこの日記を読んでしまうので、ちょっとこれを書くことにためらいがあるのは事実だ。 この間の日曜、ある人がロンドンに来た。 今の仕事の関係で、一時は同じ組織にいたYさんが、他の用事をかねて日本からヨーロッパに来ていた。 昨年の後半から、会社でいろいろな動きがあり、結局Yさんはその組織を離れることになったが、彼からはっきりと引き抜きの希望を聞かされた。 Yさんは多忙な人で、あちこちに顔がきく生来のビジネスマンなので、私たちの仕事やその他の分野で非常に大きな影響力を持って何足ものわらじをはいている人だが、ホラ吹きではない。 数えてみても、これまでに5回も会っていないが、3年ほど前に初めて彼に会った途端に私は根っからの率直さで、組織の中で使えない人をボロクソに語る一方で、タイトルとは関係なく仕事にできる人・打ち込める人についても具体的に上げてしまった。 Yさんはきっと最初から私のことを「言いたいことを言ううるさいヤツ」と思っていただろうが、だいたい職人の娘に生まれついたこともあって組織というものを屁とも思っていないから仕方がなかった。 しかし、はっきり言えば口八丁手八丁というところが多分にある私は威張るわけではないが、今いるロンドンのオフィスの建て直しや、横並びで存在している他のオフィスへの協力に力を惜しまなかった。 Yさんがずっと私を見ていたことは知っていたが、ゆえあって最近組織を離れてしまった彼から、ロンドンに残るならロンドンで、もしも日本に帰るなら諸手を上げて迎えるから、片腕になってほしいという誘いが来てしまった。 4月に母が病気になってから、母自体の回復は日にち薬といったところだが、その母を看病している父が気になって仕方がなかったことから、私の気持ちは今、かなり大きく日本に帰ることに傾いている。 最初から3年しかこちらにいないつもりだったので、ずっと日本に帰りたいと言い続けてはいた。 しかし、長引く不況の影響が好転しそうにない日本を眺めては、少なくとも職があるこちらにいたほうがまだいいのかなという消極的な理由で暮らし続けていたが、私にしても、もしも日本に帰ることになるならばYさんに頼めばどこかの会社に押し込んでくれるだろうという期待があったのは事実だ。 それが、いきなりYさんの片腕という話が出てきて、それもわざわざ自分の仕事のついでにロンドンまで来て話をしに来て下さったことは自分を大きく揺れ動かしてしまった。 その後、母と電話で話している時にその話をうかつにした私が悪いのだが、それを聞いた父から「これをしおに帰ってこないか」というメールが、この5年強の間で初めて今日来た。 このところ、自分自身がロンドンにいることの意味をあまり感じなくなってきたところへのこの誘いは、私の肩をぐいと押しかねない。 ここ最近、2回ほどダンナとも話し合っているが、ダンナとしてはやはり音楽で自分の限界を見るまでは、という意識もあるし、日本での音楽業界というものはすでに頭打ち(というか以前から頂点ではないのだが)であること、それに何よりダンナには日本での社会経験がないということもあり、初めてダンナからイギリスに残りたいという言葉が出た。 いろいろ話し合っている中で、お互いに興奮しているわけでもなんでもないが、私が日本で新たな地位で仕事をすることと、ダンナが自分の道を追求することとを両立させるなら、場合によっては日本とイギリスで別居、というような話も出てきている。 もちろん、今すぐに何かの結論を出せるわけではないし、ゆくゆくはビジネスを誰かに任せたいと思っているYさんは、私が決心して日本に帰るのがいつになっても待っていると言ってくれている。 これからしばらくの間、自分のことやダンナのこと、そして日本に残している家族のことなどを考える正念場になるだろう。 いつ、結論が出るのかはまだ自分でも予測がつかない。 しかし、自分の人生は、自分がそれぞれの場面で判断をする以外にも周囲のいろいろな力が作用し、そういうものに押し流される瞬間があるのかも知れないと思ったりもする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005年03月28日 09時32分50秒
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