カテゴリ:家族
父が他界して2ヶ月以上が過ぎた。
少しずつ少しずつ、自分の中では、これまでは実体そのものだった父がだんだん「そのへんの空を浮遊して私を見ている・守っている」幽体(うーん、適切な言葉が浮かばないので)みたいになってきている。 ひさけいさんのレスで教えてもらった通り、四十九日だとか百か日だとかいう仏事の区切りは、亡くなった人のためというよりも、残った人たちの気持ちの折り合いのため、という感覚がよくわかる。 会社の同僚や友達と話している時に父の話になっても涙が出るようなことはなくなったが、いまだにふとした瞬間に、黒くて重い雲が突然立ち込めて一瞬でどしゃーっと夕立が降るように泣けることはある。 この間は、いつも見ている医療ドラマで棺桶を見た時だった。 こちらのドラマだし、棺桶自体が日本のそれとは違うのに、それを見た瞬間に反射的に父が思い出され、しばし号泣した。 特に今みたいに会社のことやこれからの引越しのこと、京都以外の土地でクマイチと初めて日本で家庭を持つこと・・・頭の中がぐるぐるしている時だから、たとえ相談したところで何も解決しないとしても「お父さん、今、私こんな感じやねん」と、いろんなことを聞いてもらいたいと余計に思う。 聞いてもらうだけでいい。 一週間ほど前のこと、母がものすごく泣いている夢を見てしまい、気になって気になって母に電話しなければと思いながら、時差の関係もあって平日には電話できず、土曜は土曜で出勤したので、クマイチに「悪いけど一本だけ電話しといて」と母への連絡を頼んだ。 後でクマイチに聞くと「暑いとは言ってたけど、普通にハリのある声だったよ」とのこと。 翌日の日曜に電話して「実はおかんがものすごく泣いてる夢、見てん」と言うと母は笑っていた。 父のことは父のこととして、そりゃあ知り合いが訪ねてきて父のことを偲ぶ話が出ると思わず涙ぐんでしまうこともまだあるとは言っていたが「もうあきらめなしゃーないしなぁ」と思うようにしているのだそうだ。 これから暑くなるとは言っても、実家にはもう母一人。 弟が今月の納骨の時には京都に帰ってくれるが(私はもう今はそれだけに帰っている時間がないし)半身が不自由だからクーラーを作動させる準備もままならない。 母は「クーラーは体にこたえるし、扇風機があったらええ」とは言っており、特にガマンしているわけでもないが、やはり工具箱を使うような作業や、これまでは2人で買い物に行って荷物を持ち合って帰るようなことはできにくくなったはずだ。 だからクマイチはとりあえず、日本に帰ったらまず京都の実家で「おかんがしてほしいことをしてやるつもり」と言ってくれているのはありがたいが、肝心の母その人が「そんなん、これからが大変なんやから、2人でガンクビ揃えて交通費つこて京都まで来んでもええ」だと。 ドライというか醒めているというか、まったく・・・ そんな母がたった一つだけ、一人暮らしで本当に困っていること。 背中にサロン○スが貼れないこと、だ。 これまでは、父が入院していたとしてもサロン○スや湿布くらいなら母の背中に貼ってやれたのに、それをしてくれる人がいなくなった。 かといってなぁ、私もこれから同居するわけではないので、いくら日本に帰ったって、文字通り手を伸ばして届く距離じゃない。 何かいい方法はないものだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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