気位の高さとプライドの高さと野心を全部合わせたような空気感
尾上松也 「鎌倉殿の13人」後鳥羽上皇役に「プライドの高さと野心を全部合わせたような空気感を…」12/28(水)歌舞伎俳優の尾上松也(37)が28日、TOKYO FM「山崎怜奈の誰かに話したかったこと。」(月~木曜後1・00)にゲスト出演。今月18日に最終回を迎えたNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で演じた後鳥羽上皇役を振り返った。 演じる上でのイメージを尾上は「どういう風にやろうかなというところは凄く考えた。後鳥羽上皇は、武芸にも長けているというとこもあったんで」と相当考えて表現していたようだ。 また、「天才肌に近い人物という言われることが多いんで。少し気位の高さとプライドの高さと野心を全部合わせたような空気感を出せたらいいなあと思いながら。癖はちょっと出して印象もつけたいなあと思いながらやっていました」と話した。💛「プライドの高さ」に『高慢と偏見』(Pride and Prejudice)を思い出す。『高慢と偏見』はイギリスのジェイン・オースティンの長編小説。高慢という訳がひっかかるためか、『自負と偏見』『自尊と偏見』という日本語訳題もある。18世紀末から19世紀初頭のイギリスの片田舎を舞台として、女性の結婚事情と、誤解と偏見から起こる恋のすれ違いを描いた恋愛小説。オースティンの描く世界は、小津安二郎が映画で描く世界に似ている。さほど大きな事件が起きるわけでもなく、通常の人間がその人生でおきるような男女の出会いや結婚やそれに伴う男女の想いや家族の想いをつむぎあわせて、読む者、観る者に一体感をもたせてその世界へといざなっていき、なにかしら深い感慨をもたらす。私たちが実際に過ごす人生というものは、「戦争と平和」や「風と共に去りぬ」などの戦争にまきこまれ、翻弄される波乱の人生とは異なった平凡な人生で終わることが多い。平凡なことの幸せは、そうした自分ではどうにもならない苦難にまきこまれた人にしかわからないのかもしれない。ダーシーはイギリスの貴族階級、一国の領主ほどではないが、高位のジェントリ階級にある。一方、エリザベスは父親がジェントリ階級の一員としても、母の兄弟はロンドンで商人をしていて、高位のジェントリは日本の武士と同様に商人(あきんど)を軽蔑していたようである。それがダーシーの求愛の言葉の中にも出て来る。エリザベスはそうした高慢な言葉にも反発するとともに、自らのなかでダーシーその人が高慢の塊だと偏見をもってみなし、その求愛を断固として拒絶する。作者オースティンは生涯独身であった、この作品にはエリザベスに仮託して自らの心情が赤裸々につづられていて階級意識から離れた個として自立した女性を描き出して魅力的なキャラクターを創出している。オースティンはそういう女性をハッピーエンドで終わらせたかったのだ、しかし現実は多くのそうした女性は結婚、妻、母という当時も今もオースティン自身が述べる社会的に安定した立場をとりえず、その生涯を終ったケースも少なくはなかった。オースティンは小説のなかで自らの恋のハッピーエンドを成就したかったのであろうか。 Chapter 34ダーシー「わたしは努力しましたが、無益でした。もうだめです。わたしの気持ちはおさえられません。どうか言わせてください。わたしはどんなに熱烈にあなたを崇拝し、あなたを愛しているかしれないのです」彼は、自分がいくら努力しても、この強い愛着の心はどうにもおさえようがないのです。どうか自分の手をうけいれて、この愛情に報いてください、と言って話を結んだ。エリザベス「こうした場合には、告白なさったお気持ちに、十分のお返しはできないまでも、義理を感じていると申しのべることは、定まった作法だと私は信じております。・・・ わたしはあなたに好意をもっていただきたいと思ったこともありませんし、あなたもまたたしかにいやいやながら好意をお示しになったんですもの。わたしは、どなたにしろ、苦痛を与えたとすれば、すまないと思います。・・・」エリザベスは、ダーシーがウィッカムにとった態度の不正義(それはウィッカムが吹き込んだものであった)をなじる。ダーシーは思いもよらない非難にふんがいするとともに階級意識に基づいて、エリザベスの親族を侮辱する。「あなたの身内の人たちの身分の低いことを私が喜ぶとお考えになれますか?-私より確かに身分の低い人たちと親類になれるといって、私が喜ぶとお考えになれますか?」「ダーシーさん、もしあなたが、自分がもっと紳士らしい態度をとっていたら、私もそうにべもなくお断りするわけにはいかなかったでしょう。うちあけ方一つでどうにかなったんだとお考えになるとしたら、それは間違いですわ」「あなととお近づきになった最初の瞬間から、あなたの態度は、尊大と自負と他人の感情を無視なさるわがままな侮蔑とを私の心にきざみつけて、それをあなたをいけすかない人だと思う基礎をつくり、そのうえにあとあとのいろいろの出来事がなんとしてもきらいだという気持ちをきずいたのです」「もうたくさんです。あなたの気持ちはよくわかりました。・・・どうぞお達者で幸せでいらっしゃるようにお祈りします」こうしてダーシーは部屋を出て去って行った。ここからオースティンは自由間接話法を用いて、エリザベスの意識の流れを綴る。*自由間接話法とは、全体のテキストが語り手の語る人称と時称(ふつうは三人称直接過去形)によって表現され、構文論的形式においては語り手のパートである地の文でありながら、意味内容的には、実際は登場人物のパートである発言・思考が表現されている部分テキストのこと。 The tumult of her mind was now painfully great.彼女の心の騒ぎは、今、痛いほど大きくなっていた。She knew not how to support herself, and from actual weakness sat down and cried for half an hour.彼女はどうすればいいのか分からず、本当に弱って、30分も座り込んで泣いていた。Her astonishment, as she reflected on what had passed, was increased by every review of it.彼女は、過ぎ去ったことを振り返るたびに、その驚きを増していった。That she should receive an offer of marriage from Mr. Darcy!ダーシー氏から 結婚の申し出を受けるなんてThat he should have been in love with her for so many months!彼がいく月もの間、自分を愛してくれていたとは!So much in love as to wish to marry her in spite of all the objections which had made him prevent his friend's marrying her sister, and which must appear at least with equal force in his own case, was almost incredible!あの人は友だちが私の姉と結婚するのに反対したが、その反対の理由はあの人自身の場合にだって同じ力をもっているのに、それでも自分と結婚したいと思うほど自分を恋していたとは!-そうしたことはとても信じられない!夏目漱石は、イギリス留学中の研究や、その後東京帝国大学で行った英文学の講義をまとめた『文学論』のなかで、「Jane Austen は写実の泰斗(たいと)なり」と激賞した。Jane Austenは写実の泰斗なり。平凡にして活躍せる文学を草して技神に入る(略)Pride and Prejudiceを草するとき年は二十を越ゆる事二三に過ぎず、しかも写実の泰斗として百代に君臨するに足る(略)今代の認めて第一流の作家と疑わざるもの、(略)得たるは僅かに百五十ポンドに過ぎず。然もAustenは過大の高額とせり。天才の冷遇せらるゝや概ね斯くの如し。然れども(略)一八一五年に至ってAustenは既に文壇の意識を動かして、之を吾が方向に推移せしめたりと云うも不可なきが如し(略)