広井勇の死と内村鑑三-日記と手紙より-
16 広井勇の死と内村鑑三-日記と手紙より-《日記》一九二八年(昭和三年)十月二日(火)晴 同窓同級の友、東京帝国大学名誉教授工学博士広井勇君、昨日突然永眠した。直ちに彼の家を訪い、彼の冷たきひたいに手を当てて、実に感慨無量であった。五十年前に、彼と同時にパプテスマを受け。共に福音宣伝のために働かんことを誓いしも、彼は日本第一の築港学の権威となり、直接に伝道に携わらざるように成り、その方面における事業は自分が一人でなさざるを得ざるに至り、堪えがたき寂しみを感ぜしことであった。これで、札幌農学校第二期卒業生十人の内、六人まで世を去りて、残るはわずかに四人である。それを思うて、さらに大なる寂しみを感ずる。しかし、わが救い主は生きていたもう。彼と共に働くのであれば、われは落胆してはならない。しかし肉は弱し。今朝、旧友の死に顔に接して、今日は終日悲歎に沈んだ。・・・一九二八年(昭和三年)十月三日(水)雨 朝五時に起き、明日行わるべき、旧友、工学博士広井勇君の葬儀において読むべき感想の原稿を書いた。万感胸に迫りて幾たびか落つる涙を拭うた。・・・一九二八年(昭和三年)十月四日(木)雨 広井勇君の葬儀を、市ヶ谷仲の町の君の自宅においておこなった。・・・同窓の友、大島正健君と伊藤一隆君とまた儀式の一部を担当してくれ、自分はかねての故人の依嘱に従い、funeral sermon(最後の説教=資料15)を試みた。実につらい役目であった。棺前に立ち、万感胸に迫りて男涙を禁じ得なかった。五十年来の信仰生活の回顧である。彼はいかにして大土木学者に成りしか、自分はいかにして福音の戦士に成りしか、その経路を述べて、わが心臓はくずれんばかりに震えた。近ごろ、こんなに感慨多き説教をなしたことはない。かくのごとくにして、旧友は続々と世を去りて、われはその葬儀をおこなわしめられる。つらい重い責任である。後でガッカリと疲れた。一九二八年(昭和三年)十月十五日(月)半晴 ・・・故工学博士広井勇君の遺言により、金五百円を、その遺族より聖書研究社へ寄付してくれてありがたかった。旧い同窓の友にして、かくのごとくわが事業を記念してくれた者は、今日まで彼一人ありしのみである。その事を思うて悲しくなると同時に、彼に対し深甚の感謝なきあたわずである。 《広井勇の死と内村鑑三の宮部金吾あて手紙抜粋》第一八四信(和文)昭和三年六月五日 愛する宮部君へ、今日は御書面並に電報に接し、有難く存じます。誠に幸ひなる日〔受先五十年〕でありました。十一時にNitobe,Horoi,Ito,Oshimaと僕と五人、雨を冒して青山墓地某茶屋に集合し、Bishop Haririsの墓前に花を供え、詩篇九十、九十一篇を英文にて読み、伊藤がMost impressive prayer〔実に心を打つ祈り〕を為してくれました。明後日新渡戸方に再び集合し、夕食を共にする約束を為して別れました。君がいないのはgreatest lack〔最大の欠除〕であります。Miyabeはなくてはならぬpersonage(人物)であります・・・四日の夜、新渡戸方の夕食を広井は欠席した。 愛する広井君 昨夜は発起人たる君を見る能わずして折角の会合が半ば興味を殺がれました。人生短かくして楽しむ日の尠きを歎じます。御病人の一日も早く御全快あらんことを祈ります。小生近頃特に旧友の為に祈るの必要を感じます。時々君の為にも祈ります。矢張り札幌時代に得た信仰が真理であると信じます。The Bible以上に深い貴い書は他に有りません。そして幾分なりとも此書を我国人に紹介し得たことを感謝します。May God bless you, Dear Friend. May carry our friendship to the Great beyond; meanwhile redeeming the time, the last part of our life being the best.〔愛する友よ、神、君を祝福したまわんことを。われらの友情をかの大なる彼方まで運び得んことを。われらの友情をかの大なる彼方まで運び得んことを。われらの人生の最後の部分は最善のものなれば時を善用しつつ〕・・・ 第一九一信(和文)昭和三年十月二日 愛する宮部君、先程電報を以て御知らせ致せし通り、広井勇君は昨夜十一時、僅かに十五分の軽い苦しみの後に永き眠りに就かれました。直に市ヶ谷の家を訪問し、彼の死顔を見ました。実に平和の顔でした。僕のgood-byに併せて、君の分を冷たき額に手を当てて言いました。実に感慨無量です。・・・第一九二信(和文)昭和三年十月四日 拝啓、今日無事に広井君の葬儀を終りました。伊藤、大島の両君も参加して呉れました。僕が相変わらず最も重い役を務めました。近頃此んな辛らい、悲しい役を務めた事はありません。僕の述べたReminiscences〔回顧〕とEulogy〔頌詞〕とは来月の雑誌に載せます。然し是れで過去を忘れます。又未来に向って進みます。・・・第一九四信(和文)昭和三年十一月二十一日 愛する宮部君・・・今日広井の未亡人の訪問あり、ユックリ話して行かれました。故人の事につき、色々の知らざりし事を話され、同情に堪えませんでした。何れにしろ広井は愛すべきヤツであったことが、克く判明しました。「佐藤(昌介)総長の手紙は棄てましたが、先生(僕を指して)の御手紙はハガキ一枚も残さず大切に保存してあります」と聞いて、涙がコボレました。人は死ななければ、本当の価値は判明りません。