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テーマ:★留学生活★(629)
カテゴリ:アメージング・ストーリ ~運だね
明科駅で旧明科機関区の補助機関車(後補機)を連結して、 旧信越本線 篠ノ井駅までプッシュプル運転した。 中学3年生の修学旅行の帰り、神戸の鷹取工場で検車を終えた 新造のモハ165系6両編成回送列車(鷹取工場→長野工場)が 木曽地方が集中豪雨で不通になったため、名古屋駅で急遽、 中央西線経由から東海道本線・身延線・中央東線経由の 臨時団体列車999Mに変更になり乗車できた。 名古屋駅から長野駅まで帰る途中に列車行き違いをした 思い出の場所の一つでもある。 [(概要・本文引用) 「旧国鉄篠ノ井線廃線」って検索すると一杯結果が出てくる。 そこは、安曇野市が観光として力を入れている一つで、 国鉄時代に列車が走っていた廃線跡を歩けるようにした所なのです。 行ってみると、そこにはトンネル、架線柱や信号機、キロポスト、 勾配標識、速度制限標識と鉄道のグッズが一杯残っている。 しかし、そこにはもう線路は無い。 ここに昔、列車が走っていた・・・・・と言う伝説が 消えないように残されている。 でも、どんな列車が走っていたのだろうか? ほんの少しですが、潮沢信号所に列車が走っていたビデオが 家の中に眠っていたので、ここにアップロードしました。] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年04月03日 21時19分13秒
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