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外務省職員が殺害された後、小池百合子環境相は、「一歩もたじろぎません」と答えた。小泉首相も、川口外務大臣もそれ以前に何度も「たじろがない」と繰り返している。だが、「たじろがない」というのは困る。
「たじろがない」といって、イラクで現実に起こっていること、起こるであろうことの危険性を無視されてはいけないし、それ以上に危険性を認識した上で強行されても困る。 政府は、賞恤金を9000万円、首相からの特別褒賞金を100万円用意している。準備中の国立追悼施設には、「国際平和のための活動のおける死没者」も含める予定だという。 94年のルワンダ難民救援活動の際には、戦死者が出た場合の「遺体保管用」に「新品の寝袋」まで用意していたという。今度もそうしているのではないか。 これから見ると、政府は死者の出ることを織り込んだうえで、強行するという最悪の事態を準備しているらしい。その上での「たじろがない」である。 だが、人間の命が一億というお金や、国立施設に祀られるということでごまかされてはならない。ましてや、死体保管用の寝袋を準備などということでまれば、最悪である。 前の戦争でも、遺族年金と靖国によって死者の命と死者の遺族の悲しみは覆い隠された。敷島特攻隊の関行男の母親がどれほどの悲しみに耐えながら一生を送らねばならなかったか。国の誇りや名誉といったことばでごまかしてはならない。 政府関係者は、死者を織り込んだうえでの「たじろがない」ということばを繰り返しているが、「たじろがない」ということばの陰に隠されたむごさを考える時、暗い思いがする。 ましてや、国際協力=アメリカへの服従、「国益」=石油利権、などのために「たじろがない」というのは、愚かとしかいいようがない。 (注)小池百合子環境相のホームページには、イラクの石油の日 本にとっての重要性が強調してある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2003/12/03 03:19:26 PM
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