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テーマ:旧い旧い洋画(394)
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長らくのお休みでした。
友人が1970年から1990年代にかけての ビデオをボール箱いっぱい持ってきてくれて がんがん見まくっておりました。 話題作以外、いや殆どと言っていいほど見ておりませんでしたので 一気に見てしまいました。 それによってまた、旧作の価値などを再認識もできましたし、 時代の流れによる映画の変化というものも少し把握できたように思います。 そして、まだまだ見てみたいものが出てきました。 わたしのページは旧い映画のページでありますので 新しい作品の紹介はしないと思いますが、 見たことによって今まで気づかなかったものが 見えてきました。 100本観たぐらいのものですので たいした収穫もないかもしれませんが それでも目からうろこの状態にはなったんですね。 食わずギライのニューシネマはアウトローを ヒーローとした作品。 それが一段落した新しい形の根性物や政治サスペンスへと なんと新鮮だったか! はっきりと把握できていなかった男優、女優もようやく 覚えたし、結構面白く見ました。 これらを見たことでアメリカ史を知らなくてはと 学生時代の世界史を引っ張り出して 1700年代から独立時代、そして州がどんな経緯で 増えていったか、そしてアメリカ地図を画いて どういう順番で州に認められて行ったか? 1776年から1952年の50番目のハワイ州まで、 番号を付けていってみました。 面白いですね。 そうする事で同じ西部劇や南北戦争ものの時代背景と 場所の確認を掴む事が出来ましたし、 政治サスペンスも時代の変化で 複雑かつ面白くなり、 改めてみる映画の確実な面白さに 気づく事も出来ました。 学生時代になにを勉強していたのでしょう??と 我ながら恥ずかしい限りでした。 これは今、もう少し突っ込んで勉強しています。 西部劇も政治サスペンスもこの背景と場所の確認がしっかりと つかめていないと 旧作でも新しいものでも 薄っぺらな見方に終わってしまうことは 前々から感じていましたのでいい機会だと思っています。 それに吊られて ドイツや、イタリヤ、スペイン、イギリス ロシアの歴史へと今お勉強が広がっているんですよ。 年始めにABC順に俳優をピックアップして 日記をまとめようと思って書き始めましたが、 アレも書きたいこれも書きたいと...どうもまどろっかしいので、 やはりランダムに作品を選んで書こうと思います. 今、BS2では なでしこで紹介した作品が次々に放映されていますね。 みなさま、見ていらっしゃいますか?? 今夜は深夜に”戦場にかける橋”が放映されますね。 先日の”その男ゾルバ”、如何でしたかしら?? ”チャイナタウン”は同じ年に”ゴッドファーザー2”が 封切られたために霞んでしまったようですが ニコルソンはこの作品が一番いいんじゃないかしら?? ロマン.ポランスキーの絶品でしたよね。 私の方は、 今夜はサスペンス映画の原点とも言われている フリッツ.ラング監督の作品 ”M”を取り上げてみます. この作品ですが、今日本でも頻繁に起こっている 性格異常者による少女殺人事件がポイントなのですが、 それだけに終わらない奥の深い作品なんです。 主役のピーター・ローレはこの作品の殺人犯の役で有名になり イギリス、アメリカで ヒッチコックの作品や、ジョン.ヒューストン監督の ”マルタの鷹”などに出演していきます。 この作品では彼の形相は作品の犯人の不気味さを盛り上げまさに ぴたりとはまっていました。 ”M”を撮り終えて ラング監督はすぐにパリへ亡命するわけですが これがこの映画の重要なポイントになります。 MはmurderのM. 少女の殺人場面もなく、 犯人の登場も映画の中盤以降。 だけども、怪奇性を感じさせるラングの手腕。 警察に犯人逮捕を任せておけないと 市民を含んだそれぞれすねに傷をもつ者、暗黒街の顔役たちが 犯人像を分析していく過程が殆どである。 この両者別々の談義が交互に映されていく仕組み。 殺人者の特徴はどうも少女を連れ去る時に聞こえる 口笛の音。 ストーリーの中盤、盲目の風船売りが 口笛の音を聞いて 前に居なくなった少女に 風船を買ったやった男がこの口笛を吹いていた事に 気づく展開。 見つけた犯人を市民がリレーで追うわけですが 見失わないようにと 犯人の背中にチョークで本人にわからないように ”M”の印をつけるくだりは上手いですねえ。 逃げて逃げてあるビルの倉庫に逃げ込む。 それを金庫破りの名人が 倉庫の上の床を電気ドリルで掘ってゆき 警察に捕まる。 警察は彼らが集団で犯人を追い込んでそれぞれ 倉庫へ向けてあの手この手で近づこうとしている事には 気づいていないので、 この金庫破りを尋問するくだりは あのドロン作品の”さらば友よ”のブロンソンを逆彷彿させられ 思わず笑った。 ドロン作品もこれ頂いたのかなあ・・ってね・ 作品が作られたのは1931年度。 ドイツではワイマール共和国が終わりを告げようとする ヒンデンブルグ大統領下にあり、ヒトラー率いる労働党が のし上がりつつある頃です。 この映画に登場する警察は間違いなくワイマール共和国の象徴であり、 市民を率いる暗黒街の輩はヒトラー政権の象徴であると思います。 犯人はこの双方の社会に属する事の出来ないはみだし者で ラング自身の化身とも思われます。 映画の中心は双方の喧喧諤諤とした会話で 犯人像に近づいていく過程の談義だと書きましたが まさにワイマールとヒトラーの思想談義だと 取れるわけ。 犯人は日常的には子供が好きで普通の人物であるから 人々は気づかないのだという結論に達していくわけですが 犯人を自分たちの手で捕まえ、人民裁判をしようとする。 警察はと言えば 左、右 の中間といった思想のなかで論じてゆくわけです。 そうやってとうとう市民は犯人を捕らえ 廃墟ビルの一室で人民裁判を行う。 少女と一緒にいると安らぐ・・が 途中でどうしようもない恐怖にかられ殺してしまう。 そして殺した時のことは覚えていない。。が 殺した事実は自分でもわかっている犯人。 つまり犯人をラング自身に置き換えると ワイマールにもヒトラーにもついて行けず、 身の置き場のない恐怖を感じているわけだ。 ”死刑だ!”という娘を殺された母の叫び。 総立ちになる市民。 だが、弁護士は言う。 あなた方も国家も この者を捌く権利はない。人民裁判はあってはならない。 警察に渡すべきだと・ ”警察だ、手を上げろ”..と 乗り込んできた警察に手を上げるのは 犯人ではなく市民全員だったのでした。 そして最後にメッセージが出る. ”親はどんな時にも子供から目を離してはならない、 親が守るべきだ”と・ しかしこれはこの映画の言いたい事でもないように思われる。 ある意味では本当ではあるが。 まだ、ヒトラーの殺戮は始まってはいない年であるから このときにこののちのヒトラー政権を予測したラング。 そしてまさに現代の幼女殺人事件をめぐって 法務大臣への批判や殺人者予備軍の野放しへの疑問等で 騒がれている今の日本の抱えている問題を この時代に取り組んだラングの碧眼はすごい。 ドイツでのラングはぞくぞくする怪奇的な映像とともに いろんな要素を散りばめたこれぞサスペンスという一級の作品を ぜひご覧になってください。 パリに亡命してから後、ハリウッドに招かれて 撮った作品”死刑執行人もまた死す”はなでしこでも 紹介済みです。 ぜひご覧になってくださいね。 彼の生まれた19世紀末のウイーンの雰囲気と 妙にマッチした彼独特の異常な世界は 古さを全く感じさせないものであり、 切れ味の良い、歯切れの良い運びの脚本は 夫人の共同も多く、この作品もしかり。 素晴らしいの一言である。 1931年度、ドイツ作品。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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