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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
名古屋市中区大須3丁目
地下鉄神前津から歩いて数分、ビジネス街の真っただ中に杜があります 交通量の多い大須通り沿いに杜に包まれ春日神社が鎮座します 歩道からも朱塗りの玉垣がその存在を誇示するかのように視界に入ります 歩道に接する様に一の鳥居と二の鳥居を構え、その先に境内へと繋がります ビジネス街にありながら、通りすがりに参拝に訪れる方の多いのには驚きます 上段は歩道沿いに掲げられた略記と下段は社号標の後ろの由緒書き 由緒より 『祭神、武甕槌命、経津主命、天児屋根命、天児屋根命 例祭10月19日 当社は創立の起源は称徳天皇の御宇神護景雲年間奈良春日大社創祀に際し常陸国鹿島神宮の御祭神武甕槌命の御神霊を大和国春日山に御遷座の途次当尾張国山田庄(現社地)に御假泊あらせられたるに因み天暦二年時の郡司藤原某南都春日野を模して春日四柱大神を奉祀したものである その後文亀年間前津小林城主牧与三左衛門尉長清(正室織田信長の妹)の崇敬を受け牧氏退転の後尾州藩主も亦代々崇敬の誠を捧げ殊に二代徳川光友公の母君乳の疾に惱まれし折神木椎の木を採りて祀られ平癒しその頃より婦女はこの木を崇め何時の頃よりか変じて産の守となった惜しくも戦災の為椎の木は焼失した現在当市中央の地にあり氏子数四千余戸を擁す』 やはりここでも長清の名が登場してきます 春日大社がそうであるように春日神社でも鹿は神の使いとされ、見慣れた狛犬ではなく鹿となります 境内左に手水舎と手水鉢 ビジネス街に苔むした手水舎です 創建は947年(天暦2)と云われます 由緒に基づくと奈良の春日大社創建の際、現在の茨城県(常陸国)の鹿島神社御祭神(武甕槌命)を白い鹿に乗せ、奈良県(大和国)の春日山に遷座する旅の途中、この地で宿泊した事に由来します 村の鎮守様として、藤原氏の氏神様として勧請され、後の1501~1054年(文亀年間)に小林城の牧長清がここを氏神とした事から社や境内が整備されます 長清の退転以後も尾州藩主の崇敬を受けて続けたと云われますが、例によって第2次世界大戦で焼失します 現在の建物は1961年(昭和36)に再建されたもの 全体は朱塗りの大社造で正面に唐破風が施され、左右の短い御廊につながります 春日大社の中門と御廊をイメージさせるものです 朱の赤と壁の白のコントラストが鮮やか 御廊の吊り灯籠、夕暮れに灯がともった光景は風情のあるものです 燈籠に刻まれた神紋は下がり藤の様ですが・・・・・ 格子天井の拝殿から本殿の眺め、本殿の外観はひと回りしても覗う事は出来ませんでした 境内左の末社は天王社 天王社の左、境内の西端に古い手水鉢と石塔が置かれていました 石塔には寛政・・・と彫られています、200年程前のものになりますが、戦災を免れたという事ですね 春日神社 創建 / 947年(天暦2) 祭神 / 武甕槌命、経津主命、天児屋根命、天児屋根命 住所 / 名古屋市中区大須3-46 アクセス / 市営地下鉄鶴舞線「上前津駅」から西に数分 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.10.05 19:49:18
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