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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
熱田神宮境内摂社 南新宮社
熱田神宮境内には本宮、別宮(一社)、摂社(八社)、末社(十九社)が祀られています。 南新宮社はその中の一つ。 先に記載した境内摂社「日割御子神社」の右から北に続く細い小道があります。 そこを進むと南新宮社に至ります。 一旦参道入口に戻り南新宮社全景。 熱田神宮にあって朱塗りの社殿は南新宮社が唯一無二の存在です。 南新宮社と同じ西を向いて小振りな社と左に南向きに一社が祀られています。 入口左の大きな春日燈籠。 赤い社の佇まいは牛頭天王を祀る天王社の趣がありますが、こちらの祭神は「八坂神社」に祀られる神、素盞嗚命を祀ります。 創建は1000年(長保2)とも1023年(治安3)とも云われ諸説あるようです。 熱田神宮本宮は現在地の北西100㍍ほどに鎮座していたけれど、1893年(明治26)にそれまでの尾張造りから神明造に改められ現在地に移されます。 その社殿は後の空襲で焼失、再建を経たものが現在の姿。 先に掲載した新宮坂神社、その前を緩やかに東に下る坂を新宮坂と称した事、南新宮社だけが丹塗りの流造、移転や戦災の被害を受けなかったという事だろうか? そうだとすると熱田神宮にあって一番古い歴史的建造物だと云えます。 確かに社の後方は新宮坂神社辺りのようです。 現在新宮坂から熱田神宮境内の南新宮社に繋がる参道ないけれど、1878年新宮坂町となる以前はひょっとすると繋がっていたのかもしれません。 上は尾張名所図会の南新宮社(赤丸)、そこには新宮坂の記載と鳥居が描かれています。 その昔、京の都で蔓延した流行病を鎮めるために「京都祇園まつり」が始まったように、ここ熱田でも疫病が蔓延したと云います。 当時の事なので禍をもたらす神がいて、それを鎮めるために南新宮社が祀られたとも云われます。 疫病をもたらす疫神を鎮め、送る目的から人々が集まり、旗鉾で祓り鎮めた祭(大山祭・天王祭・祇園祭)が生まれ、平安時代から現在まで受け継がれてきました。 その様子は尾張名所図会にも描かれていました。 毎年6月5日南新宮社例祭、熱田祭として行われていますが、当時運航していた旗鉾や山車は廃止されていったようです。 左側の社は熱田神宮境内末社の「八子社」 須佐之男命と天照大御神の誓約にから生まれた五柱の男神と三柱の女神を祀る。 熱田神宮境内末社 「曽志茂利社」 祭神は居茂利大神(素盞嗚尊)、唯一南を向いて祀られています。 境内摂社 南新宮社 創建 / 不明 祭神 / 素盞嗚尊 末社 八子社 祭神 / 天忍穂耳尊、熊野櫲樟日命、天穂日命、田心姫命、天津彦根命、市杵島姫命、活津彦根命、湍津姫命 末社 曽志茂利社 祭神 / 居茂利大神(素盞嗚尊) 住所 / 名古屋市熱田区神宮1 公共交通機関アクセス / 市営地下鉄名城線「伝馬町」駅下車徒歩10分程 関連記事 / 新宮坂神社、日割御子神社 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.09.07 17:46:51
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