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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
久し振りの京都。
名古屋から新幹線で一時間もあれば京都の地を踏みしめられる。 車で訪れようものなら駐車場に困り、観光名所や食事処は何処に行っても海外旅行者とツアー客で溢れ、 気安く訪れたいと思えないのが京都の個人的な印象かもしれない。 しかし瑠璃光院の紅葉を見るためにもここは受け入れるしかない。 京都駅から西に徒歩10分程。 東寺に向かう途中、油小路東寺道の交差点の西角で、古い寄進者銘の連なる玉垣に囲まれた「伏見大社御旅所」の前を通りがかる。 伏見大社の神様が祭礼の際に臨泊される場所で、普段神様は伏見大社におられるので今は不在。 境内は北と南に二つの鳥居があり、写真は南の鳥居から境内を見ています。 この時ばかりは朱の鳥居の存在感も薄くするほどだ。境内は落葉した赤いもみじの葉が朝陽を受けて赤い絨毯を敷き詰めたようだ。 境内の伽藍は左の建屋は奉安殿?と奥の赤い建屋は神楽殿、参道中央に神輿台車庫、右に境内社の伽藍。 伏見稲荷はとんでもなく人が集まるが、駅から近い御旅所は誰一人出逢わなかった。 意外な穴場かもしれない。 境内右に横一列に四つの社が並んでいる。 社頭の御旅所解説。 「此処は伏見稲荷大社(伏見区)の御旅所です。 この御旅所は、かつて七条油小路と八条坊門猪熊の二か所に分かれてありました。 天正年間にこの地に移り現在に至ります。 稲荷祭りでは五基の神輿、田中大神(田中社)、佐多彦大神(中之社)、宇迦之御魂大神(下之社)、大宮能売大神(上之社)、四大神(四之大神)が駐輿し、その間神輿の氏子区域(不動堂、西九条、塩小路、中堂寺、東九条、八条東寺)の巡幸、神楽殿での湯立神事、六斎踊り等々により境内は氏子、参詣者で賑わう。 境内社殿、神輿台車庫、神楽殿、奉安殿の整備は平成19年より順次行われ、社殿(下命婦社、上命婦社、御旅殿、大神宮)は平成27年に竣功。 御旅殿を除いた社殿は、神宮遷宮後の古殿舎の使用材が使われている。 周囲の石玉垣は明治40年に新設され令和元年に改修されたもの。 所在地京都市南区池ノ内町98 祭礼日 菜花祭 4月初巳の日、稲荷祭・神幸祭 4月20日前後近接日曜日、区内巡幸 4月氏子祭の日、還幸祭 5月3日、火焚祭 11月10日」 全国津々浦々のお稲荷さんの本店、伏見稲荷大社、その神様が御旅所に訪れるのは神幸祭の時。 天正年間(1573~1592)、下社(七条油小路)、中社・上社(八条坊門猪熊)の御旅所は秀吉により統合され、この地に遷されたもので、旧地は古御旅所と云われ、ここから北西の南区古御旅町に地名として名が残っています。 稲荷祭は貞観年間(859~877)から続き、室町時代の1442年には山鉾も登場するなどし、祇園祭に匹敵する祭りだったといいいます。 その祭も応仁・文明の乱(1467~1477)の戦乱で中断、それと共に山鉾も姿を消したそうだ。 戦乱後の1476年に神幸が再開され、江戸時代には賀茂祭、祇園祭と共に京の三大祭の一つとして称されたようです。 神輿台車庫に保管されている神輿は、一基の担ぎ手が300人を要する大きなものという、普段はシャッターが下ろされその姿を見る事は出来ない。 神楽殿も普段は引き戸が閉じられ祭礼時の賑わいを感じさせない、駅近くにありながら静かさが漂う境内です。 赤い絨毯の先の四つの境内社。 正面が稲荷社で祭神は稲荷大神、右の神明造の相殿には左に豊受皇大神、右に天照皇大神が祀られています。 稲荷社の左の上命婦社、祭神は上之命婦、その左が下命婦社で下之命婦を祀ります。 境内社右から四社の眺め。 2015年(平成27)に手を掛けられただけに、稲荷社始め何れの社も綺麗な状態で、鮮やかな朱塗りは鏡の様に輝いていた。 この稲荷社と東寺は空海に纏わる言い伝えも残る。 駅からほど近く、本来の静かな京都を感じられる場所かも知れない。 ここから僅かばかり西に歩けばそこは東寺、こんなに落ち着いて参拝や写真に収めるのは難しいのかも。 伏見稲荷大社御旅所 創建 / 不明、天正年間(1573~1592)遷座 所在地 / 京都府京都市南区西九条池ノ内町98 境内社 / 稲荷社、神明造の相殿、上命婦社、下命婦社 参拝日 / 2022/11/24 JR京都駅から目的地まで / 徒歩10分程 関連記事 / 京都一泊二日 (東寺・東福寺・瑠璃光院・南禅寺)、青春18切符で京都まで VOL1『伏見稲荷大社登頂』 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.12.20 00:00:18
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