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2024.03.26
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カテゴリ:神社仏閣・御朱印
2/17、この日は名古屋ウィメンズマラソンのボランティア説明会に朝から参加するかみさんと共に名古屋学院大学 名古屋キャンパスを訪れました
自分は午後の説明会だけなので午前中はフリータイム
と云う事で白鳥公園の南を横切る国道1号線から南の熱田区南部の神社を巡って来ました
普段名城線を主に利用するので、名港線乗り換えもあり、あまり縁のない空白地帯

名古屋キャンパスでかみさんを見送り、そこから南下する事約20分
熱田区45に鎮座する波限(なぎり)神社の社頭に到着
南向きに社頭を構え、鳥居の左に社標(1975)が立てられています

鎮座地は正保3年(1646)から慶安2年(1649)にかけて、尾張藩により堀川から庄内川にかけて広範囲の新田開発が行われた地域で、それにより得られた耕地を東から西にかけて33に番割された地域
ここはその一番割にあたり、現在でも番割当時の名残が町名として一部に残っています
現在は農地は姿を消し住宅や工場、ショッピングセンターが多い環境なので、波限(なぎり)神社の社叢は存在感があります

社頭から境内の眺め
左から波限神社社標、熱田史跡「まむし神様」の碑、石造神明鳥居、波限神社由緒碑があります
鳥居はこの社頭の他に境内西側にも石造神明鳥居が建てられています

かつて、まむしが多くいたことに由来する

波限神社由緒略記
「祭神:彦波限建鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎ たけうかやふきあへずのみこと) (神武天皇の父様)
例祭 10月18日
由緒
 この神社は慶長15年(1610)に加藤清正公が名古屋城を築く際、運搬船が度々遭難することを憂いて、堀川河口にあった小島に一宇を建て、日向国鵜戸神宮の御霊代を祀りました
社名は彦波限にちなんで波限神社と名付けられ、海運の守護を祈願し、深く信仰されました
 村民からの敬愛は深く、全村が神社の祐福を願い、平和で幸せな生活を営めるのは、まさに神社の守護の賜ものである
海上安全、交通安全、安産、縁結びの神として、遠方からの参拝者も多い
 小島は現在の千年船方にあり、神社は白鳥橋の旧渡船場から南方300メートルの堀川河畔にありました
昭和14年10月に愛知時計の発展拡張に伴い、現在の地に移転
しかし、昭和20年(1945)3月19日の空襲により、本殿や拝殿などの建造物はすべて焼失
 その後、時間を経て昭和49年(1974)12月にようやく復旧再建され、御本宮の鵜戸神宮(宮崎県日南市)に参宮し、御分霊を受け、昭和50年2月1日に遷座祭が行われた」

・名古屋市史の社寺編
 「波限神社は南区千年字船方にあり、境内126坪あり、明治初年の勧請なり、明治35年頃改造遷宮す、
今村社に列す
 祭神は彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊なり、神殿、槍鳥居 大正元年建設などあり
境内神社は秋葉社 祭神は軻具土神の一所在り
 例祭は8月15日也」と記されていました

・熱田区史跡散策コース概説
 「名古屋城を築城の際、加藤清正が資材海運の安全を祈って建立した
本殿は戦災で焼失 し、昭和49年に再建された」とあります
 他に愛知県神社庁に目を通すが得るものはなかった

名古屋市史と神社由緒では創建や遷座の時期が食い違っており頭の整理がつかない
 神社由緒と史跡散策コース概説では清正の下りなど符合しますが、由緒から引用しているのかもしれません
本記事では神社由緒概説を尊重し記述します

 今時、機械を多用した歩道の整備ですら、なんやかんや長い期間やっています
堀川の掘削は1610年から始まり翌年には完成したとされます
 なにもない所から短期間で掘削したものとは思えず、掘削にあたり従来の護岸の整備に石は必要だったと思われます
境内には石垣に加工しようとして楔を打ち込むため開けた屋穴の痕跡が残る岩が複数置かれています

過去の地図から鳥居の姿は確認できず、終戦(1945)直後から5年間に当地を写した航空写真から鎮座地を見て見ました
 当時は既に現在地に移転を終え、熱田空襲で被災し焼け野原になっていた頃
社叢の樹々はなく、現在の社叢はその後植えられたものと思われます
 多くの犠牲者を出した愛知時計のあった辺りでは目立つ建物は見られず、由緒による旧鎮座地は堀川右岸、愛知時計の東端になり、現在の千年プロムナード(黄色の辺り)と思われます

昭和49年12月復旧再建された社殿の多くはコンクリート造りのものが多く、写真の手水舎もそのひとつ
 そこに置かれる手水の寄進年は見忘れましたが、再建以前のものではないだろうか
後方の鳥居が社地西側の鳥居(1975)のもの

拝殿全景
 外観はシャープな印象で、梁間2間、桁行3間の四方吹き抜けのコンクリート製
社殿の左に境内社の豊受稲荷大明神、右に熱田社と秋葉社の相殿が祀られています
 波限神社では神社につきものの狛犬の姿は見られなかった
境内は枯れ葉が散乱することもなく清掃が行き届いていました

拝殿内から本殿方向の眺め
 ひょっとして柱はもとは赤だったのかなぁ、壁面の色合いとは少し違うように感じます

祭神の彦波限建鸕鷀草葺不合尊の御神徳は海上安全、交通安全、安産、縁結びとのこと
 まずはこの先の安全を祈願させて頂きます
・・・2月も半ば過ぎてましたが小さな鏡餅が供えられていました

本殿右の境内社は熱田社と秋葉社相殿

板宮造りの社には二枚の社名札が掛けられていますが、文字は脱色し読み取り難かった
 名古屋市史(大正4~5)では「軻具土神の一所」とありますが二社に相違ありません
創建時期由緒概要に記されておらず、市史が編纂された当時が一社だけだったとすると、熱田社や豊受稲荷はその後に遷座したものとなります

波限神社本殿は木造の棟持柱が現れた神明造、棟には外削ぎの千木と4本の鰹木が付くもの

拝殿右から境内社と社殿の眺め

複数の赤い幟がはためく先に豊受稲荷

豊受稲荷全景
 稲荷と云えば狐ですがその姿はなく、社の前に小さな陶製の置物が置かれていました

豊受稲荷の社は一間社流造で軒唐破風が付くもので棟には外削ぎの置き千木と3本の鰹木が施され、
小さな社ながら木鼻や虹梁、蟇股など細かな彫飾りが施されています
シャープな神明造と曲線の流造、どちらも固有の美しさがあります

拝殿から社頭の眺め
そう云えば社頭の「まむし神様」由来は調べていなかったけれど、湿地が多かっただろう土地柄なのでマムシに纏わる言い伝えがあるのだのう、しかし蛇は大嫌いなので、考え出すと境内の大きな楠の枝から落ちてくるんじゃなかろうかなんで妄想が始まる
これ以上深入りしないようにしよう

波限神社
創建 / 慶長15年(1610)
祭神 / 彦波限建鸕鷀草葺不合尊
境内社 / 秋葉神社、熱田社、豊受稲荷大明神
例祭日 / 10月18日
所在地 / 名古屋市熱田区2-45-8
参拝日 / 2024/02/17
公共交通機関アクセス
 ・地下鉄名城線​熱田神宮伝馬町駅​から西に1.6㌔・25分前後
 ・地下鉄名港線 ​六番町駅​から東南に1.2㌔・20分前後





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Last updated  2024.03.26 00:00:23
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