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「日本で地震があったのに」という新作で教会のような会場でライブは始まった。
「日本で地震があったのに、僕はそこにいなかった」 「100%そこにいなかった」と友部さんは歌う。 自分がヒサイしてないことを歌い、自分のことを歌う。 「100%の穴から僕は日本に帰るんだ」と歌う。 自分のことをきちんと、ヒサイしていないことをきちんと、歌うことは、誰もしてなかったような気がする。 不思議なことなんだが、その歌は、応援ソングより、力を持つのだと思った。 「悲しいニュースが盛り蕎麦のように配達されて、並べられて、僕は食べることができない」の「盛り蕎麦」は、置き換えや、暗喩ではない。 悲しい盛り蕎麦が大量にあり、我々は食べなきゃならんのかもしれない。 それは身体性を伴う歌とメロディーであった。 久々に、 「一本道」と「大阪にやってきた」と「遠来」を聴いた。 友部さんは友部さんの仕事をしていた。 「生きる」ことを見せていた。 ライブ中、「under-ground」のことをぼんやり考えながら。 地下室に穿つ穴のことを考えながら。 それはコトバだと思う。 身体性が伴ったコトバだと思った。 ライブからの収穫です。 阿倍野小ホールにて、友部正人ライブを観た。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.08.15 22:47:09
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