「晴れて風無し」
精華小劇場にて、劇団太陽族「晴れて風無し」を観る。最近、「時間論」に興味がある故、現在、過去、未来を行き来するタイムマシン的要素に入り込めなかったアタマの固い観客の私です。過去の時間は現在の背後に帯状に伸びており、未来は現在の前にあるということに疑いを持っています。過去も未来も現在の身体に刻印されているという考えの同じ岩崎さんの作品の「背くらべ」の方が私は好みでした。(誤読かもしれん)この作品はJRの脱線事故も取り上げられていました。時事ネタというてしまいますが、作品の中で必然的要素になるか、ネタになってしまうか、その差はなんなのでしょうか。池田小事件を取り上げた劇団そとばこまちの「「丈夫な教室」や、岩崎さんのオウム事件の「ここからは遠い国」、震災ものの数々の優れた作品は必然があった気がします。必然にするためには、その事象を一度解体する必要があるのでしょうか。