2018/01/14(日)15:53
80年前より―その24(『近きより』をなぞる)法治国家に殺されないように
もう約1カ月前になってしまったが、共謀罪が左翼潰しに使われたことがニュースになっていた。左翼潰しが目的であった治安維持法と同じ道を歩んでいる。右翼と公安警察による犯罪に国民はお墨付きを与えた。国民自身がツケを払うことにならなければ良いが。
【神戸発】「共謀罪の試し斬りは左翼で」 次は一般紙、SNSに言論弾圧(田中龍作ジャーナル)
さてと、80年前に戻るか。
私は私を馬鹿にする人間だけを馬鹿にする。
p.211 昭和13(1938)年「近々抄」『近きより』第2巻第2号<二月号>
気持は分かる。「平和ボケ」「お花畑」「パヨク」等々の言葉には、人を馬鹿にする以上の意味は無い。相手にするのも時間の無駄か。
ここ[1]に日本の根本的の欠陥がある。
人間を内から動かす原動力を持つ人間がいなかったのである。
赤化征伐も、日本では法律と警察の手で為したのだ。
法律万能、法科跋扈の傾向が強くなり、時とすると人権蹂躙になるのも故なきに非ずである。
p.219 昭和13(1938)年「近々抄」『近きより』第2巻第3号<三・四月号>
法治国家には気を付けた方がいい。息苦しい警察国家も法治国家の看板を掲げている。法律が民衆の人権を守るために使われているのか、法律が民衆を縛りつけるために使われているのか、注視して居ればおのずと明らかになる。
国法を尊重して従容として毒を仰いだソクラテスを、国法を濫す者として断圧したのも当時のいわゆる愛国者であったし、敬神の念強いスピノーザを、神を否認する者として迫害したのも当時のいわゆる信神家であった。
p.220 昭和13(1938)年「近々抄」『近きより』第2巻第3号<三・四月号>
歴史上、法律が民衆を殺すために使われてきたことの方が余程多いのではないか。現代の日本は例外であると確信を持てる平和ボケはいないだろう。
[1] 前節を受けて、指導者が無かったところ。《おぢさん補注》
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