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おぢさんの覚え書き

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2017.08.11
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カテゴリ:歴史/考古学/毛人
今回は平出博物館の2回目、前回は平出遺跡公園、企画展、石鏃を紹介した。

塩尻市立平出博物館①―科野旅行(おぢさん)
長野県の遺跡(長野県埋蔵文化財センター)

基本の土器から見て行こう。塩尻あたりは弥生時代後期前葉には座光寺・中島式、後期中葉から後葉には箱清水式と座光寺・中島式の中間的様相といわれる橋原式の分布圏となる。


どの遺跡のいつ頃のものか説明板は無い様子だった。短く斜行する櫛描、頸部よりずいぶん下にある簾状文、樽式とは明らかに違う施文の土器だ。


上向きの鋸歯文?しかもダブル。山が下を向いた鋸歯文は樽式でも見慣れたものだが、上向きは見覚えがない。さらにその下に細い波状文。やはり樽式にはありそうもないデザインとなっている。


ピンぼけで見苦しいところを見せております...手前の甕は写真ではわかりにくいが頸部から胴部上半にかけて波状文が充填され、肩部に簾状文が施されていて樽式といっても違和感はない。甕の頸部から肩部のラインはなだらかなものが多いのもこのあたりの土器の特徴のようだ。


口縁部から肩部まで縦走羽状文が施された甕。これも樽式にはまずないだろう。この他に口縁部から肩部まで波状文のみが充填された甕もあった。


塩尻市大門柴宮出土銅鐸。弥生後期。昭和35年に発見された。

平出博物館の弥生時代の展示物ではメインと言って良いだろう。高さ64.2cmの堂々たる銅鐸。
長野県の青銅製品について何も知らずにこの銅鐸に対面したので度肝を抜かれた。これほど大きく、ほぼ完璧な銅鐸がここ長野にあるとは思わなかった。
この見事な銅鐸を眺めていると、その所有を可能にした集落の経済力にも思いが及ぶ。
長野県では他にも2007年に中野市柳沢遺跡から銅鐸5点が銅戈8点とともに見つかっている。柳沢遺跡は北信地域で、出土した銅鐸の大きさも21~22cm程度で形式も異なり、流入ルートも恐らく異なる。


中挾遺跡出土玉類。弥生後期。
昭和24年頃、小型甕に納められた状態で勾玉1、小玉124、細形管玉33、合計158点が出土した。

今でもそのまま使えそうな玉類は弥生時代のイメージを変えてくれるのではないか。

柳沢遺跡(長野県埋蔵文化財センター)
中野市内その3 : 中野市柳沢遺跡(全国遺跡報告書総覧)
中挾遺跡 塩尻インター給油所用地の埋蔵文化財発掘調査報告書(全国遺跡報告書総覧)

長野県の弥生時代の遺跡の発掘調査報告書を読んでいて思ったのだが、遺物の豪華さの割に大きな集落が少ないように思える。物品が行き交う交易ルートとしては重要であったが、有力な勢力が成長する拠点となることが少なかったのか。それとも東と西の差だろうか。


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Last updated  2017.08.17 21:40:44
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