神流川周辺の「神」地名を調べる為に延喜式神名帳を見ていると非常に気になることがあった。それは賀美郡に所在する神社の名前である。
![P1020642_1.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/aafde65b9d4f2900475efcfdd0a1a1c4ac0deb2e.33.2.9.2.jpeg)
イマキアヲを冠する神社が三社ある。「今来」とは古渡りに対する新来を意味する言葉である。
「今来」が古渡りに対する新来を意味したことは、『日本書紀』の雄略天皇七年是歳の条に、百済から新しく渡来してきた技術者たちを「今来の才伎」と表記しているのをみてもわかる。
南九州の隼人においても、大王あるいは天皇に仕える隼人や隼人司に隷属する隼人に対して、おりおりに朝貢した隼人たちを「今来の隼人」と称したのも同様である。
p.246 上田正昭『渡来の古代史』
つまり何処からかは分からないが渡り来た人々が住む土地だったのではないか?二社が「今城」、一社が「今木」であることからしても漢字は当てただけで意味するところは「今来」だったのではないかと感じる。
今来が渡来を意味するとして彼らはどこから渡り来たのだろうか?
今城青八坂稲実神社と今城青坂稲実荒御魂神社の論社である阿保(あぼ)神社が埼玉県児玉郡神川町元阿保に所在している。この阿保と青は元は同じだろう。万葉仮名で普通に(あお)を表記すれば阿保であるし。大阪府松原市と三重県伊賀市の阿保の読みは(あお)である。埼玉県秩父市にも阿保が在るがこちらは(あぼ)である。
青といえば雄略天皇の寵が厚かった身狹村主青(むさのすぐりあお)がいる。村主は渡来系氏族に与えられた姓である。半島からの渡来人が賀美郡に住んでいたのではないかという感触を持つ。また唯一、イマキを冠しない長幡部神社という名も渡来系氏族ハタ氏の部民とも思える怪しい名前である。
しかし『明細帳』によると伊賀の阿保に住む阿保朝臣人上が武蔵国国司に任命されて当地に来て城を築いたのが今城青という社号の由来ということだ。
阿保神社(埼玉県神川町)(関東の神社めぐり プチ神楽殿)
伊賀の阿保朝臣が当地に来て阿保/青の元となったというのは良いが、城を作ったから今城というのは付会ではないだろうか。延暦年間(782~806)に当地に城を築かなければならい理由があるように思えない。
今のところ伊賀の阿保から渡り来たから今来青と呼ばれたというのが一番自然な説明のように思える。