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↑ 『 正法五百年・像法千年・釈迦滅後三千年説(その1) 』からの続きです ↑
______________________________________ 5. 今 日 の 解 脱 ! (悟) ______________________________________ 釈迦の滅後の正法・像法・末法についての年代をもう一度ここで詳しく検証してみま しょう。 一般的には実在した釈迦が滅度したのは紀元前の四世紀、或いは五世紀頃といわれて いるのがよく多くの人には知られているようですね。 しかし、私は以前から言ってきましたが、釈迦生誕からはすでに三千年は経過してい て、もうじき滅後のちょうど三千年を迎える時期だと思っているのです。 それは、日本における鎌倉幕府が成立した頃、或いはその同時代の日蓮聖人が活躍さ れた頃は、佛教が日本に初めて渡ってきた聖徳太子の時代からはすでに七百年位は経 っていた後でした。 その鎌倉時代において、盛んに釈迦の末法思想が流行しだし、世の中は極端に喧騒に 狂い出し、その頃こそ末法の始まりだと民衆の中に言われ始めたそうです。 日蓮関連のある書籍によれば、日蓮聖人が生まれたのは、鎌倉時代の初め頃の貞応元 年(西暦1222年)二月十六日であり、釈迦滅後の二千百七十一年に当たると記さ れています。 それを逆算しますと、前にもお伝えしましたが釈迦の滅度は紀元前の九百四十九年の 二月十五日になるのです。 ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ そうしますと、この釈迦滅度のB.C.949年から後の五百歳とはB.C.494 年以降ということになるかと思います。 ところで、実際はこのB.C.494年とは一般に言われている一説の釈迦の滅度の 頃に不思議にもある程度一致するくらいであると思えますね。 なお、ところがさらに一般には釈迦の場合にも滅後の正法および像法の期間というも のがあって、通常は正法千年、像法千年、末法万年以上という説が最も主流に言われ ているようです。 ですから、どうやらこの法華経に記された「後の五百歳濁悪世」という滅後の年代が 正法の中間期なのかという疑問が自然に生じてしまいますね。 そこで、この釈迦の正法・像法、各々の千年説とは一体、何処から来ているのかと調 べますと、とりあえず法華経には出てはいないのです。 どうやら日本で最もこれを調べた人は日蓮聖人だったらしいと私は思います。 そこで、日蓮聖人の示したのがやはり正法・像法、各々の千年説だったわけなのです が、さらに日蓮聖人はこれを法華経どおりに五百年単位に考えているのです。 ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ それは、釈迦の滅度の時からの五百年毎に五つの時代区分に分け、この五つの五百歳 であることから名付けて「五五百歳」ともいい、さらに五つの堅固を並べていること を意味することから、五堅固説とも呼ばれているそうです。 そこで、この五つの堅固を年代を追って一応示してみますと、 ・第一五百歳=解脱堅固・・・B.C. 949~B.C. 494年 ・第二五百歳=禅定堅固・・・B.C. 494~A.C. 6年 ・第三五百歳=読誦多聞堅固・A.C. 6~A.C. 506年 ・第四五百歳=多造寺堅固・・A.C. 506~A.C.1006年 ・第五五百歳=闘諍堅固・・・A.C.1006~A.C.1506年 となります。 これをご覧なって大体どう思われますか? 日蓮による正法・像法千年説ですと、滅後の正法千年はほぼ紀元前内に収まり、解脱 と禅定で正式な菩薩修行が整っているようです。 そして、西暦が始まると共に像法も始まり、恐らく再び勉強をしなおさないとダメだ ということらしく、読誦多聞堅固の時代は経典を読誦し修行者同士による説法を良く 聞くという励みが始まったとしているのでしょうが、その頃からインドでは法華経の 編纂が始まり、またこの頃から印刷技術が開発され、多くの書が作られ普及しだした のでしょう。 その次は多造寺堅固で、そろそろ日本へ佛教が伝来して来た頃で、聖徳太子による法 華経を通じた法隆寺の建設を初め全国各地の国分寺や、その後に平城京・平安京など、 めまぐるしい寺院建設ラッシュの時代を迎えていきました。 そしてその後の五五百歳の闘諍堅固の時代を日蓮は末法の始まりとしていたようです。 日本の世の中は佛教一色になりつつも、佛教を通じた天皇はじめ皇族と武士族との権 力争いが耐えず、武士の佛教支配勢力に押された天皇族は島流しにされるなど、承久 の乱では天皇族が完全敗北し、国の主権は佛教を権力とする幕府に一切吸収され奪わ れる事態も起きました。そしてさらにその後は武士だけの天下統一をもくろむ戦国時 代へと突入していったのでした。 なお、この闘諍堅固の時代が終わりだすと、いよいよ世界中は大航海時代の真っ盛り で、小さな国は乗っ取られ大規模な殖民国支配が増大し、コロンブスがアメリカ大陸 を発見したのもこの頃だったのです。 ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ 以上のように日蓮が示した釈迦滅後の五五百歳は見事的中しているような濁悪世の世 界情勢だったようです。 ただし、私が考えますに、やはり法華経に記された「後の五百歳」が日蓮のいう正法 なのか、それとも像法なのかがどうも気がかりでなりません。 そこで、さらに調べましたら、釈迦の正法・像法・末法の期間の取り方については、 さまざまな説があり、中でも多きく区分すると次の四種があげられているそうです。 ・正法・像法、各五百年説 ・正法千年・像法五百年説 ・正法五百年・像法千年説 ・正法・像法、各千年説 です。 この中で、どうやら私は特に日本に当てはめた場合は、三番目の正法五百年・像法千 年説が最も法華経の意味に近まるのではないかと思えているのです。 それはどうしてかといいますと、先ほど述べましたとおり、法華経による「後の五百 歳濁悪世」を像法の始まり変動期と考えるなら、それ以前の正法が五百年であること がほぼ適正に思えますし、この像法の始まりの滅後年代の紀元前494年(前5世紀 頃)の頃から実際はそれ以前に実存した釈迦に良く似た別な佛陀と称する実際は菩薩 集団などが堅実に発生し活躍した時代で、それが現代における著名な佛教の記録の歴 史に残っているのではないかと思うのです。 ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ しかし、法華経の「後の世の後の五百歳濁悪世」の後の世のことを像法千年と考えま すと、どうもさらにその後の五百歳の年数の加算がしっくりきませんね。 それを法華経のこのとおり従順に考えれば、像法も五百年としてみれば、滅後の五百 年が像法の始まりで、さらにその五百年の像法を経過した、つまり像法の始まりから 五百年後が末法の始まりとすれば、しっくりくるようですね。 その場合、つまりは正法・像法、各五百年説とした場合、末法の始まりは西暦元年の 始まりに近い西暦6年であって、紀元後の西暦の始まりこそ末法の始まりという具合 になり、日蓮の五堅固説からしても読誦多聞堅固の時であり、ちょうど普賢菩薩が今 回の出家・在家の四衆に短期間に読誦・書写できる精進をさせ佛陀となって出現する 時期と一致するようなのです。 ですから、その佛陀と成った普賢菩薩はその頃、現実にインドで法華経を編纂が開始 されるように法華経を正確に書写させ、いずれ末法における広宣流布を狙わせたのか もしれないなどの現実のシナリオとしても近似して考えられそうです。 ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ ところがです、その後に多造寺堅固が訪れるということがどうもおかしいのです。 それは、読誦多聞堅固ですでに末法に入ったとしてから更に世の中が悪化していくの が通常なのに豪華な社寺建設が進んで行くことは、以前の読誦多聞堅固を超えていく 様がちょっとおかしいわけです。 ですから、私の最初の考えに戻って、再び正法五百年・像法千年説としてみて、その うえに「後の世の後の五百歳濁悪世」をそのままに当てはめまして、像法千年の中間 こそがその濁悪世で良いとしてみればよいと思えてくるのです。 なぜかと言いますと、末法が訪れ始める五百年位前にはすでに周到な対策準備の強化 を図る訓練期間を用意しておかなければならないということなのです。 つまり、もはや末法が開始され出したら事態は遅いという、念には念の入れようが法 華経と考えてよいのではないかということです。 ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ ______________________________________ 6. 今 日 の 振 り 返 り !(離) ______________________________________ ところでこの1ヶ月間も、またまたとても貴重なことを知ることができました ね。 正法五百年・像法千年説はどうでしたでしょうか? さまざまに考えは違うでしょうが、私は末法の始まりは日本においては佛教が 伝来し、聖徳太子が造営を始めた頃と説きました。 日本に於てもこの頃が一番の草分け期だったと思えるのです。 また、神教の天皇が全国的に勢いづき始めたのもその頃の末法の影響かも知れ ません。 でも、やはり厳しい時の神頼み、苦しみに打ち勝とうとする闘志はやはり神が 与えているのです。 苦しみの中にこそ利益はあるのだと思います。 そして、その苦しみに耐え切れないから佛が娯樂を与えてくれているのです。 ですから、神が娯樂を与えてくれているのではないのです。 その人生の娯樂を提供してくれる佛が滅びだすということは、利益は生じても 休めないのです。 ですから、休暇を得るということは、利益のほうは休まなければ神は納得いか ないのでしょうね。 それではまた来月から・・・・。< ^0._.0^ > 今回も読んでいただき、誠にありがとうございました。 末永くご愛読いただけますよう、今後とも何とぞよろしくお願いいたし ます。 (ぶっけん) 発行者WebページURL http://jouan167.jimdo.com/ ______________________________________ (C) 成安 All rights reserve. ↓ 発行ホームページへどうぞおいでください ↓ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2014.11.28 01:11:29
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