カテゴリ:城
人吉に来たら、必ず人吉城の本丸跡まで見に行くことにしています。
人吉城跡ですが、鎌倉時代初期に、遠江相良荘(とおとうみさがらしょう:今の静岡県中部)で鎌倉幕府の御家人だった相良長頼(さがらながより)が、源頼朝(みなもとのよりとも)の任命で人吉荘の地頭となり、人吉城を修築したとされています。 その時に出土した三日月模様の石から、繊細な三日月を意味する繊月(せんげつ)城とも呼ばれています。 本格的な築城は12代当主の為続(ためつぐ)の時代の1470年頃とみられます。球磨(くま)郡を統一した相良氏は、八代や薩摩方面へと領土の拡大を図り、戦国大名として発展しますが、1587年の豊臣秀吉の九州征服により、相良氏は球磨郡だけを支配することになります。 1589年には20代当主長毎(ながつね)が石垣工事に着手し、1639年の21代頼寛(よりひろ)の時に、球磨川に面した石垣が完了しました。その後に櫓(やぐら)など工事をして人吉城が完成します。 相良氏歴代の居城として明治4年(1871年)の廃藩置県まで使用されました。 (人吉城の写真は、2019年8月3日午後撮影) ↑ 史跡 人吉城。(繊月城:せんげつじょう)。 ↑ 大手橋から多門櫓(たもんやぐら)を見る。 ↑ 多門櫓の中に入る。 ↑ 甲冑など展示物を見た。 ↑ 水の手門の辺り。 ↑ 河合奈保子さんのファンなら、良くご存じの場所。 ↑ はね出し石垣。 石垣の上に、石が出ている。 ↑ 御下門(おしたもん)。 ↑ 三の丸跡。 ↑ 二の丸跡。 二の丸には、城主の住む御殿が建てられていた。 ↑ 人吉城 本丸跡。 ↑ 本丸跡。 ↑ 城を下っていく。 ↑ 於津賀社跡(おつかしゃあと)。 初代相良長頼(さがらながとも)の入国前の人吉城主であった、平家の代官の矢瀬主馬祐(やぜしゅめのすけ)を祀る霊社跡。第二代頼親(よりちか)が建立した。板葺きの神殿と拝殿の2棟があったが、現在は礎石が残っている。 ↑ 球磨川。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.10.27 17:09:02
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