南無阿弥陀仏は心の救いをもたらす
@@@@@@@@@ 南無阿弥陀仏は 心の救いを もたらす@@@@@@@@@ そもそも「救い」とは何でしょうか?「救済」とも言え、「自分以外の他なる力によって苦・悩・危・害・罪・悪をまぬかれること」とあります。 仏教には二種の系譜があり、「悟りの教え」と「救いの教え」といわれます。お釈迦さまの時代から行われてきたのは、自らが修行努力して苦悩厄難から解放・解脱する「悟りの教え」。しかし、今現代においては成し得る人がいません。行じてもなまけ心が出たり、人を妬んだり、楽な方へ邪な方へ思考が及んだりする。それが私たち人間なのです。そんな凡夫といわれる私たちが救われる教えがあります。それが、他力である阿弥陀如来による「救いの教え」なのです。 私たちは「救いとは?」と問われれば、「病気が治る」「災難から逃れる」「苦難から抜け出せる」「不幸からの解放」「心が楽になる」等々捉え方は色々です。しかし、自分で自分は救えません。何か大いなる存在の他力によって、心の解放・自由の方面へ向かわしめてもらえるのが「救い」です。 日本仏教界の革命者といわれる浄土宗の法然上人は、阿弥陀仏の名を称えることで極楽浄土に救いとって(往生)もらえる教えを示し弘められました。 その教えとは、難しい修行をする代わりに、只「南無阿弥陀仏」を称えること。これが、救い手である阿弥陀仏の【本願】という聖なる誓いに叶う条件なのです。称名念仏によって、老若男女を問わず誰でもが、その本願の力に乗じて西方極楽浄土へ往き生まれることができるシンプルで最勝な「救いの教え」なのです。私たちに必要なのは、その道理を理解することでもなく、自力で励むことでもなく、ただ一向に念仏を称え、アミダ仏の救いを信じ、「助け給え」と願うことです。 何事のおわしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる 死後の救いだけではありません。口称念仏によって如来の光明という智慧と慈悲のみ光によって、生きている現在から心のお育てもいただけます。コロナ禍や震災を経て安全や平穏な生活が一変…「どうなるの?」という不安や「私は独り」という孤独、「どうしようもない」という絶望などを思い知らされた私たちです。しかし、その中でもお念仏があると、仏さまに導かれ、安心や共生(ともいき)や希望が感じられ、前向きに悦びある身となるようにお育ていただけるのです。 合掌南無阿弥陀仏 専称寺 亀山政臣拝