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自分に起こる
すべてを
恩恵として
生きる
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「よかった!」と、
自分に都合の良い事が起こると嬉しいのは普通です。
都合の悪い事が起こると不平不満を口にしてしまうことも当然あるでしょう。
現代は資本主義の下、
自己責任の社会です。
頑張れば報われる。競争に勝ってお金を稼いで豊かになることが中心とされています。
しかし、その一方で、
心の豊かさが失われ、悲惨な事件や心の病いも増えているのが現状です。
そのような中で「おかげさま」という言葉を使ったり耳にしたりしているでしょうか。
漠然とした感謝をあらわす言葉で、
昭和以前は「お天道さま」という漠然とした対象を意識していた社会だったと思います。
しかし、今は
「おかねさま」が中心で
「おかげ」という考えが薄れているように感じます。
「おかげさまで」と使うときは、
相手も含めてまわりの援助で…神仏の加護で…という意味が含まれています。
仏さまという大いなる存在を心の支えに持つと、
おかげさまの対象がはっきりします。
「南無阿弥陀仏」とは、
阿弥陀如来という命や光の存在の仏さまにお導きいただく意味の言葉で、
念仏として約八五〇年定着しています。
この念仏を称えてアミダさまを親しく感じてくると、
心のお育てがいただけます。
自分に都合の良い事は、有り難い、おかげさまと受け取るのは誰でもできます。
次は、
普通の当たり前の事、
例えば、
自分で食べられる、
自分で動ける、
住む所がある、
健康でいられる等等、
これら普通の日常を感謝の対象として受け取る。
そして
念仏が進んでくると、
アミダさまが味方についてくださっている想いが深まってきますので、
少々の不都合な事でも
そこから学び、気づき、得られるものがあることがわかってきます。
それを「恩恵」「恩寵おんちょう」「恵み」として受け取ることができてきます。
辛いことや不幸をすぐに「みめぐみ」とは受け取れませんが、
「自分に起こるすべては恩恵だと心がけて生きていく」
という覚悟ができてきます。
そしてそう成らせていただけるお育て(はたらき)が
「南無阿弥陀仏」の念仏にはあるのです。
ですから、
人生に無駄はない!と自分に言いきかせ、
たとえ苦しい事が起こったとしても、
そこに〈意味〉を見出すことで、
人生が豊かになっていきます。
その〈意味〉を〈出来事〉を、
仏さまが与えてくださった
と受け取れることが「恩恵みめぐみ」だと気づけてくるのです。
合掌
南無阿弥陀佛
専称寺
亀山政臣拝