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愚かな私
至らない私に
気づく
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「お父さん怖い」
と最近言われます。
別に怒っているわけでも機嫌が悪いわけでもないはないのに・・・
言い方の問題なのだと気づきました。
先日アンガーマネジメントの本を読むと
その中に「怒るときの四つのタブー」というのがありました。
一、機嫌で怒り方を変える
二、関係のないことをもち出す
三、原因をせめる
四、一方的に決めつける
これには自分の至らなさを気づかされました。
忙しい時余裕のない時ほど気をつけないと
機嫌で伝え方が左右されたり、昔の事をもち出して話がややこしくなったり…。
怒る時は、言いたい事をできるだけ一つにしぼるのが良いとのこと。
また
「なんでそんな事したの?」と聞くと、
人は言い訳を探すものだと。
だから「どうしたら~してくれる?」と話の方向を〈これから〉に向けると良いと。
「いつも~だ」「かならず~」は禁句。
責めすぎないように、今の問題に限って話し合うことを心掛けるのが良い・・・
わかってはいてもできていない自分がいます。
機嫌に振りまわされないよう意識して、これらを心掛けていきたいと思いました。
お釈迦さまが説いた『法句経』に
愚者であっても 自分のことを
愚者であると自覚している者は
実は賢者である
愚者でありながら自分を
賢者だと思い込んでいる者こそ
まさしく愚者である
とあります。
なかなか人は自分を愚かだとは認めたくない自尊心があります。
時には
「自分を善く見せよう」
「すごいと思われたい」
「知っているふりをしよう」
などと小賢しいことを考えて振る舞ってしまいます。
智慧ありと 思える智慧に
障えられて あわれ誠の道を失う
こうならないように、指針として我が法然上人の名句があります。
智者のふるまいをせずして
ただ一向に念仏すべし
謙虚な姿勢を忘れず、
自分がどんな人間かを常に内省しつつ
向上しようと心掛けることが大事です。
ただ
思えば思うほど、愚者だということにも気づかされます。
だからこそ、
小さい自分を尊い仏さまにあずけ、
南無阿弥陀仏をたよりに念仏して生きて往く中に、
仏道人生の全うがあるのです。
合掌
南無阿弥陀仏
専称寺
亀山政臣拝