1/3 『自然のくらし』「仏知見について」
神戸の龍飛水師が毎月山本空外上人の広島妙慶院市民講座をテープ起こしなさり、
「空外語録」
としてわかりやすく読みやすく冊子にして届けてくださる。
今回は昭和56年5月の講演で
「仏知見について」
空外上人は、
いかに生きるか
ということを教えてくださいました。
そのことが少しでも理解できたらと、
ここに抜粋し感想を述べたいと思います。
【われわらが為すべきことは、(大自然の)命の根源(アミダさま)に還ること、命の根源の命そのものズバリを、自分の仕事に生かしていく(仏作仏行)。それしかありません!】
と言い切っておられます。
法然上人の主著に『選択本願念仏集』があります。800年ほど前のもので、称名念仏の真髄が書かれてあります。
【選択(せんちゃく)とは、自分の仕事をするということ。】
『選択集』の第16章に次の言葉がある。
【「念仏の行水月を感じて、昇降を得たり」と法然上人が申されたのは、人真似をしたり、人を羨んだり、人の邪魔をしたり、ケチなことをするのではない。
大自然の命と一つになって自分のできる限りを尽くしていくことしかないと言うことです。】
【大乗仏教は何かと問われると、「般若波羅蜜多」がその答えです。しかしこれが般若波羅蜜だと言う決まったものはありません。
だから、「般若波羅蜜もこれ一辺」と、当時インドで1番偉い学者と言われる龍樹菩薩が『大智度論』で言っています。】
【「一辺」と言うのは自分が悟ったといっても、自分が悟っただけのものであって、自分としてはそれで全てを悟ったかと言うと、違うということです。来年になるとまた来年、新しいことを悟ります。】
【私は60年間、念仏していますが、その60年間ずっと般若波羅蜜を生きてきましたから、毎年進んでいます。進んでいなければ生きている値打ちはありません。】
【60年前は60年前で最高でしたが、またその次の年は次の年で、一年一年だんだんと進んでいって、今日は、また今日の最高を生きているわけです。
それが般若波羅蜜ということです】
【念仏をすると一人ひとりなりに命の根源にはまりがついて、その命の知慧というか、慈悲というか、そのはたらきが、一人ひとりの心に通って、その人その人なりに、各人が自分として力いっぱいの仕事が実ようになる】
【その時代生かし、それぞれの人が実っていくような生活をしなければ生きている値打ちがないですよ!】
とおっしゃっています。
自分なりに精一杯、与えられた道を歩むことが、命の根源に還ることになり、そのためには命の根源につながることのできる南無阿弥陀仏を称え続けることに、その実感と実りが出てくるのだと…
僕は僕なりに20年念仏を称えてきて、わかった(サトッた)とこがある。でも、これも一辺。
また来年は来年の、20年後は20年後のサトリがあるんだと、楽しみになった。
我々僧侶は「アミダさま」を〈仏像〉と一致させすぎているのだと感じる。そんなに小さく限定してしまってはいけない…
空外上人はまさに、「アミター」という「量ることができない」という言語的意味合いで捉えておられるので、南無阿弥陀仏の意味合いも広がった解釈をされている。
浄土宗僧侶は、南無阿弥陀仏の念仏を、
〈極楽往生のための手段〉
とだけでしか捉えていないように感じる。
山本空外上人のように、広い仏教的視野で捉え、
山崎弁栄上人のように、祖師法然上人や二祖聖光上人の教えに憧れ踏襲し、念仏に命をかけたその実践からくる教え〈光明主義〉も、
この人生をいかに生きるか
に力と希望を持たせてもらえる教えとなって、
念仏が生きる糧となることを教示してくださってることに改めて感謝し、嬉しくなってくる。
さぁ!念仏しましょう!
合掌
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