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カテゴリ:フランスとアフリカ
朝方、小雨。涼しい。最近、日曜日の朝はジョギングを日課としてきたが、昨日の夕食の後片付けをしている内に、面倒くさくなってきた。午後から出張なので、午前中はのんびり過ごすことにした。
今日はフランスの政界との関係を書いてみたい。 93年12月にウフェ=ボワニ大統領が死去する。翌年2月7日、ウフェ=ボワニ大統領の生地でアビジャンから南に約350km離れたところにある首都ヤムスクロで葬儀が行われた。 フランスからは与野党含めて、錚々たるメンバーが参列している。首相経験者だけで7名(シャバン=デルマス、バール、モロワ、クレッソン、ロカール、シラク、バラドゥール)、さらにジスカール=デスタン元大統領、そして病をおしてミッテラン大統領(当時)までが参列している。Fracafrique(cはセディーユ)という言葉がある。アフリカに深い利害関係を持つ人たちのことを総称した言い方だ。 政治家にとって見ると、政治活動の資金源としてのアフリカがある。アフリカの政治家から利益提供があった。アフリカ側もフランスへ便宜を図ることで別の利益を得ている。例えば、前回触れたように、フランスは第43海兵大隊をアビジャンに派遣し、有事の際にはフランスが守ってくれることになっていた。 また、その間を取り持つ、政商、ビジネスマンも多くいる。フランス、アフリカ双方の商人達が影に日向に活動し、互いを支えあってきた。 フランスでは大統領が外交をつかさどっているが、外務省アフリカ担当部局とは別に大統領府にアフリカ班があり、Francafriqueはこの班が牛耳ってきた。その黒幕はジャック・フォカールという元諜報部員で、ドゴール時代から98年に死去するまで30年以上に亘り、フランスとアフリカとのネットワークを仕切ってきた。 野党RDRのワタラ元首相はIMFの副専務理事を務めたテクノクラートだが、右派のサルコジ内相、左派で欧州憲法でノンを唱えて勢力を拡大したファビウス元首相とのつながりが強いとされている。また、バグボ大統領も社会党との関係がある。西アフリカのもう一つの雄、セネガルは2000年まで社会党が政権を担ってきた。そのため、大使もセネガルは社会党系、コートジボワールは保守党系が派遣されてきた。しかし、2000年以降セネガルとコートジボワールがちょうどひっくり返った形になったので、現在ではセネガルに保守党系、コートジボワールに社会党系が派遣されるようになったそうだ(最も今年の8月にコートジボワールに派遣された新しい大使は紛争地を渡り歩いてきた方のようである)。 1999年12月のロベール・ゲイ将軍によるクーデターの際に、ベディエ大統領は、大統領官邸から地下通路を通ってフランス大使館へ、そしてトーゴへと逃げた。本当にそのような地下通路があるのかわからないが、有事の際にはフランス大使館が庇護してきたことは事実である。野党のワタラもよくフランス大使館がかくまってきた。 「持ちつ持たれつの利害関係」、これがコートジボアールとフランスの関係であったが、これは植民地構造の強化と見ることもできる。フランスとコートジボワールは、脱植民地化を巡って、新たな関係を模索しているところと言うことができよう。しかし、そのために払う痛みは余りに大きい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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