酒場放浪記に登場の酒場 鰭ヶ崎篇
流山電鉄流山線ってまだ数回しか乗車したことがないけれど、下手なローカル列車よりよほど郷愁があって好きな路線です。渋い風景や物件をレトロと表現する人がいますけど、レトロという言葉がretrospective(レトロスペクティブ)の略語であって、懐古趣味を意味するのは断るまでもない常識なんですけど、その訳語にあるように趣味というのがぼくにはとても不快に思えるのですね。「レトロな」っていう言葉は和製造語でありますが、それを否定するつもりではなくて、趣味という言葉の軽さと思想・信条の軽さというのが早退しているように思えるのです。とにかく流山線にはレトロという言葉では表現したくないような切実な哀感が漂っているように感じられるのです。懐古的と回顧的は異なるニュアンスを含む言葉であることは何となく理解してはいますが、いずれの言葉にも反発したい気持ちは持っていたいのです。流山線の駅間を歩いていると時折ギュッと胸を締め付けられるようなネガティブな勘定が渦を巻いて立ち現れる瞬間があるのですが、そんな生理的な現象はぐっと飲み込んで平静を気取りたいのです。とまあこうしたことを呟いている時点で懐古的であり回顧的であり、ぼくの指摘されて最も不快な言葉の一つである感傷的な精神の顕われなんですけど、とにかくそうしたアンビバレントな性格の人には是非一度は流山線に乗車し沿線を歩いてみてもらいたいのでした。かつて小金城趾駅がその一部であった公団住宅の取壊しは誠に残念ではあるけれど、まだまだ見所はあります。そのお隣に鰭ヶ崎という駅があります。でもこの夜訪れた酒場にここから出向く人はそう多くはないはずです。2022年度の一日平均乗車人員は537人と非常に少数であって、その酒場との距離がそう変わらぬ南流山駅がJR武蔵野線の30,259名、TXの31,064名を合わせた数と比較すると1%にも満たぬのだから、まずほぼ存在しないと推測していって良さそうです。 ともあれ今回お邪魔したのは、「居酒屋 のんべえ」です。前週のリベンジって訳ではなく、前回南流山で呑んだちょうど1週間後に当地住まいの知人からお声が掛かって飲みに行くことになったのでした。せっかくならとこの店のことを話すと、知人もつい最近久々にお邪魔したところ満席で入れなかったとのこと。前回は予約でいっぱいだって店主に言われたのはそれを聞いても半信半疑ではあるけれど、予約をしているかという問いがある以上、予約をしておくのが無難と判断したのであります。前日の5時前に電話をすると店主が電話に出られたが予約をしたいと申し出ると店に来たことがあるかと問われる。これはもしや一見はお断りっていうことなのだろうか。知人が何度も来ているから(知人が)何度も来ていると答えるとそれではお待ちしていますとのこと。知人によると店主独りで広い店を切り盛りしているから注文の通りも出てくるのも遅いとの断りがありました。まあ、呑めさえすればそこそこ満足なぼくとしては文句はない。店に入って先週の一見客と気付かれるのも癪なので知人を先にして入ってみたら幸いにも店主は知人を覚えているらしく通してもらえました。その後の客もやはり予約をしているようで一組のカップルだけは予約なしで顔パスしてもらっていました。ほぼ実質的な紹介制のお店みたいで何だかあまり気分はよろしくないのです。店側には客を選ぶ権利のあるやなしやというのは、飲食店に限らず商売する者にとってのジレンマでありますが、ぼくは不本意ではあるけれど「あり」だと思ってはいます。けれどそれはしっかり標榜するというのが条件でありまして、1回目のぼくのように知らずに訪れた者の気持ちは店主にはぜひ汲んでいただきたいと思うのです。実際、店主の働きぶりは獅子奮迅のごときであり肴こそ時間を要するものの酒に関しては1分と待たずに提供されるから大したものです。お通しの梅水晶をのせた奴、自動的に出された大根と鶏手羽中の煮物、甘エビの唐揚げ、ブリの照り焼きは上出来でしかもボリュームもあり、値段も安いのでした。でも、客を選ぶ店を「あり」とは言ったけれど、そういう店をぼくが好きかって言われるとそんなことはないからもう訪れることはないだろうな。