カテゴリ:社会
臓器移植や代理出産問題などが新聞をにぎわすたびに、いつものように考えだしては苦悶する。科学技術は人を幸せにしたか?
技術の進歩で便利になったことは確実であるが、人の幸せが増し続けているという証拠はない。むしろ、いつでも死にたい気持ちでいたり自殺してしまったりする人は増加していることを考えると、人はだんだん不幸せになってきている可能性もある。 ささ船遊びよりラジコンヘリ遊びの方が幸せなんて言えないし、隣町への旅より海外旅行が幸せとも言えない。 道具を使い進歩を続けることが人類の定めだとすれば、とことん進歩を続けて行き着くところまで行って自爆するしかないのだろか?などと考えていると、結局同道巡りになってしまうのだ。 人の幸せと技術の進歩について考えていて、いくつかの法則に気がついた。 1 技術は進歩し続ける。人は進歩そのものに快感を感じる。 2 それ以前より便利になると幸せを感じるが、それが日常になると幸せ感は元に戻ってしまう。 3 周囲の人と同じかそれ以上に便利でないと、不幸に感じる。 インターネット対局ができるようになった時の喜びは大きかったが、慣れてしまうとあたり前になってしまう。 医療も全く同じ。20世紀は抗菌剤を始めとした新薬の開発が驚異的に進み、大きな成果をあげた。 最近は、人の自然の出産や死の姿を大幅に変えたり、人体そのものを改造したり、さらには人間そのものを造り出すことにつながる技術が生まれてきている。 もう日本人は慣れたかも知れないが、多くの日本人は発展途上国から来た人が見たら目を背けたくなるような状況で病院で亡くなっているのである。 たくさんのチューブや機械につながれた姿を見ても、何とも思わない感性の人が増えているのは私には恐ろしくてたまらない。 今はさすがに代理出産には抵抗を感じる人が多いと思うが、今後増えてくればだんだん日常になってしまうであろう。この流れの行き着く先を想像するとさらに恐ろしい。 世の中には、人間の記憶を形あるものとして取り出して移植しようとか、不老不死とか、本気で考えている人がいるのである。100年後には人体は想像を絶する形になっているかもしれない。 新しい技術ができると、必ずそれを使おうとする人が現れ、誰かが使うと誰もが使いたくなる。そろそろ分野によっては技術進歩そのものを止める努力をしないといけないのではないか、と思っている。ただ、それは人間のDNAが許さないのだろうか? 私が将棋や囲碁を自力でするコンピューターの開発に違和感を感じているのも、これに関係している事だからかも知れない。 人間の最高峰より強い囲碁の人工頭脳を作るなんて、人を幸せにするのだろうか?私には、不幸にするだけに思える。 何のためにそんなことをしているのだろうか? 進歩そのものを楽しんでいるのか? それとも、本気で人工的に人の脳の複製を作ろうとしているのか? いずれにしても、開発者達は先の先まで考えて行動してほしいと思う。もう手遅れだろうけど。 それに、少なくとも囲碁界にとっては全くためにならない事だと思うけど、何で日本棋院では新聞で取り上げたりして助けるのだろうか?
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