松江駅から市営バスに乗ること15分ほど(
その2参照)。大橋川を渡った先にあるのが島根県庁を中心とした官庁街です。そのエリアに、国宝・松江城があります。
島根県庁の前に立っている、
松平直政(1638年にそれまでの京極氏に代わって松江藩主となった)の像です。この像は元々1927年に建立されましたが、太平洋戦争時に金属供出で撤去された後に、2009年に再建されたものです。
これは松江城を築城させた
堀尾吉晴の像。
豊臣秀吉による天下統一後に浜松城主となった彼は、関ヶ原の合戦で徳川方についた功績として、
出雲国24万石を与えられました。その後、本拠地を月山富田城(安来市)から松江城に移転させる直前に急死しました。
その松江城築城の功労者である堀尾吉晴像の反対側に、お城への入り口があります。
開園時刻の8時30分を過ぎたばかりなので、周りにはほとんど人がいませんでした。観光案内所でリュックサックを預けて城内へ出発です。
階段を上がって左手側には、開智学校(長野県)を連想させる和洋折衷の建物が見えてきました。
これは
興雲閣。1903年に建設された擬洋風建築の迎賓館です。
元々は明治天皇の行幸の際の御宿所として建設されましたが、日露戦争勃発により明治天皇の島根県訪問は幻となりました。その後、1907年に当時の皇太子(後の大正天皇)が訪問した際に宿泊所として利用されました。
興雲閣を過ぎて再び階段を上がって登閣料(560円)を払い、いよいよ城郭へと入ります。
堂々たる姿。全国で12か所しかない現存天守の一つです。
松江城は天守閣の平面規模では2番目、高さでは3番目、古さでは5番目(1611年完成)です。1871年の廃藩置県に伴い廃城となり、取り壊しが一度は決まったものの、地元の有志が買い戻したことにより存続となりました。1935年に国宝指定されましたが、戦後は一度、重要文化財になりました。そして
2015年7月8日に再び国宝に指定されました。
これは地階の写真。
籠城戦に備えた食料貯蔵庫でした。
2階、3階は資料館になっていて、本物の兜・甲冑が展示されています。
江戸末期の松江市街地の様子を表したジオラマ。
いくつかの急な傾斜の階段を登った末に、ついに最上階にたどり着きました。
最上階。ここは有事の際の指令所となるところで、城主がここから全軍に指令を出すところでした。
ここからは松江市中心部が360度見渡せます。
国宝に指定された際の証明書(下村博文・文部科学大臣=当時=発行)。
最上階の様子を1枚撮影。朝一番から晴れているとは、この日はついてます。
(続く)