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テーマ:政治について(19883)
東京オリンピックの組織委員会会長を務める森喜朗・元首相は今月3日、JOC(日本オリンピック委員会)の会合で「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる。女性は競争意識が強い」と発言しました。
改めて、目を疑うようなとんでもない発言でした。謝罪と発言の撤回、そして組織委員会会長を辞任する意向・・・というのは当然のことだと思います。 女性がたくさんいる会議は「時間がかかる」・・・だと? 他の人が見過ごすような細かい点に気付き、修正し、丁寧に確認するからこそ(いい意味で)時間がかかるんだと思います。 ただ、この発言のせいでオリンピック・パラリンピックにボランティアとして参加予定の人が続々と辞退を申し出ているとのことです。 愛想が尽きたとはこのことを言うのでしょうね。 2018年8月27日の日記「2020年東京オリンピックなんて、全く待ち遠しくない。」 西日本新聞・コラム(2018年8月5日)「東京五輪が待ち遠しくない」 私はもうとっくにこのオリンピックには愛想が尽きました。2015年夏にはロゴの盗作疑惑が浮上。結局ロゴは白紙撤回されました。同じ頃には千駄ヶ谷のメインスタジアムの完成予想図も白紙撤回されました。大会開催に向けた費用は7000億円から3兆円にまで膨らみました。 (本来ならば)2020年7月24日開幕予定、猛暑の中の大会となる予定でした。アメリカのテレビ局の都合で猛暑での開催にされる。ただでさえ人が密集している東京に、ますます多くの人が来るのはごめんだ!・・という思いから、私は2019年2月、オリンピック開幕を待たずに東京から出て行きました。 また、オリンピックの式典演出に関わる人気ミュージシャン・椎名林檎さんは、朝日新聞のインタビュー(2017年7月24日付)で 「正直『お招きしていいんだろうか』と言う方もいらっしゃるし、私もそう思っていました。でも五輪が来ることが決まっちゃったんだったら、もう国内で争っている場合ではありませんし、むしろ足掛かりにして行かねばもったいない。 だから、いっそ国民全員が組織委員会。そう考えるのが、和を重んじる日本らしいし、今回はなおさら、と私は思っています。取り急ぎは、国内全メディア、全企業が、今の日本のために仲良く取り組んでくださることを切に祈っています」 と語っていました。 国民全員が組織委員会のメンバー・・・だと?それは辞退させていただきます。こんな所まで「日本はひとつ!」だなんて、押しつけがましい。他人の心まで強制しないでほしい。 そもそも「日本はひとつ!」だなんて大ウソだと思っています。47都道府県、みんな違って、みんないい!日本は47個のチームだ! そして、とどめを刺したのが上記の森元首相の発言でした。 もう、東京オリンピックなんて中止でいいよ!中止で!これ以上振り回されるのはごめんだ! ついでに、来年の冬の北京オリンピックも中止な。香港やチベット自治区、新疆ウイグル自治区で不当な人権抑圧を続ける中国共産党が支配する国での大会開催には、大きな抵抗感を覚えます。私は、2008年の北京オリンピックのときとは違います。 もう2020年、2022年のオリンピックは「コロナ対策に集中する」ために中止で。 2024年、パリでお会いしましょう。 2026年、ミラノでお会いしましょう。 選手が高めた五輪ムード、無にする醜態 森会長辞任(14日、時事通信) ~「自分の言葉」で上げた声~ 森喜朗元首相が女性蔑視発言で東京五輪・パラリンピック組織委員会の会長を辞任した問題は、後継選びをめぐる混乱も招き、開催可否の重大判断を正常に行えない恐れすら出てきた。当初からトラブルと批判が絶えなかった大会に、国民の期待を高めてきたのも、今回の件で声を上げたのも選手たちだ。その努力と勇気を無にしかねない事態は、いつまで続くのか―。 ◇ ◇ ◇ 問題の発言があったのは3日。陸上の寺田明日香(パソナグループ)は5日に「日本の五輪は大丈夫か、日本の多様性への考え方はどういうものなんだと思われてしまう。すごく残念」と語った。それから2、3日の間に競泳の鈴木聡美(ミキハウス)、テニスの大坂なおみ(日清食品)ら女子選手を中心に声が上がり、男子にも広がっていった。それぞれが自分の言葉で話し、人々に届いた。 振り返れば、今回の五輪はここまでも選手たちに救われてきた。2011年7月16日、石原慎太郎東京都知事(当時)が開催都市への立候補を宣言したのは東日本大震災から4カ月後。五輪どころではないとの世論が渦巻いていたが、翌日、サッカー女子ワールドカップ(W杯)で「なでしこ」が悲願の世界一になった。翌年のロンドン五輪で38のメダルを獲得し、東京・銀座でのパレードに50万人が集まった。ここから五輪開催の支持率が上向き、13年9月に開催が決まる。 ソチ、リオデジャネイロ、平昌の夏冬五輪で見せた快挙とドラマ。テニスの大坂、錦織圭(日清食品)、野球の大谷翔平(エンゼルス)らの台頭。19年ラグビーW杯の盛り上がりは記憶に新しい。 試合での活躍だけでなく、多くの選手が熱心に被災地へ足を運んできた。五輪競技・種目かどうかにかかわらず、「スポーツの力」は心を照らし、「2020」を心待ちにする人たちが増えていった。もともと日本は国民もメディアも五輪が大好きな国だ。 ただ、同時に選手たちが実感したこともある。女子ソフトボール日本代表の主将・山田恵里(デンソー)は、昨年まで所属していた日立が開いたソフトボール教室で、何度か福島を訪れた。「行くたびに私たちの方が勇気をもらいました」。女子ソフトボールは福島で五輪の開幕戦を行う。「今度は私たちが金メダルでお返しをする番。私たちにできることはそれだけなので」。同じ言葉を、多くの選手が口にする。 ~変わりつつある日本の選手~ そうして迎えた待望の五輪イヤー。突然広まった新型コロナウイルス感染症で、思いもよらなかった五輪の延期と厳しい自粛生活が目の前を暗くした。揺れる心、ままならない練習。耐え抜いて、夏頃からようやく実戦が再開されると、今度は試合を「させてもらえる」との言葉が口をついた。 競技団体やリーグの幹部、審判、競技役員、ボランティアたちが感染リスクを背負って動いてくれる。裏方さんの高齢化も進んでいるのに。試合後のインタビューは、勝者も敗者も感謝の言葉から始まった。 しかし、冬になって感染者数が急増し、年明けには首都圏などに2度目の緊急事態宣言。今夏の五輪開催への反対論や悲観論が支配的になった。スポーツが嫌われたわけではない。背景にあるのは安倍晋三政権時代からの不誠実で傲慢な政治への不信、失態続きのコロナ対策への怒りだ。「政治とカネ」や税金の無駄遣いは、膨らむ五輪開催経費と結び付いた。半年前に開催国で五輪がこれほど悪者になった例は過去にない。 陸上女子の新谷仁美(積水化学)が昨年末、「アスリートだけがやりたいというのは、私の中で違うと思う。国民の皆さんがやりたくないと言っていたら、開催する意味がなくなってしまう」と話した。これもまた、ジェンダーに関する発言以上に、勇気の要る言葉だったろうが、同調する選手も出てきた。 本来、選手は競技で自己を表現し、人々にも感動や勇気をもたらす。口だけ達者ではいい試合ができないし感動は呼ばないが、スポーツの社会的地位向上とともに収入の社会還元やボランティア活動など新たな役割が生まれてきた。大舞台も挫折も経験してきた選手たちの言葉には強く深い力があり、政治的・社会的問題でもあの選手はどう考えているのだろうと、発言が注目されるようになった。発信ツールも普及した。 国際オリンピック委員会(IOC)五輪プログラム委員として女子競技・種目拡充に参画してきた荒木田裕子さんは言う。 「日本の選手も自立、自律を目指す教育を受け、勉強している。セカンドキャリアについても学び、自分の意見をしっかり言える方向へ来ている。でも海外に比べればまだまだ。小さい頃から『個』で育つ欧米と『集団』で育つ日本では違う。これからどんどん変わると思うけれど、今すぐみんなが『ノー』を言えというのは酷」 ~「大人」たちの貧弱な言葉~ 選手は平時から多くの支えがあること、自分たちの力だけで五輪ムードが高まったのではないことを、痛いほど分かっている。もちろん国のサポートは大きいし、最前線で膨大な五輪準備に携わってきた人たちの労苦も分かっている。 だから発言を躊躇する面があり、女子サッカー日本代表の岩渕真奈のように、森氏の発言を「良くはない発言だったと思う」とした上で、これまでの尽力にも思いを至らせる感想を語った選手もいる。 もっと声を上げるべきは「大人」たちだった。しかし、4日の衆院予算委員会で見解を問われた菅義偉首相の最初の言葉は「発言内容の詳細は承知していない」。与党幹部も「不適切な発言」などとありきたりの指摘にとどまり、むしろボランティアの辞退をめぐって火に油を注いだ二階俊博自民党幹事長の発言の方が記憶に残った。選手たちの言葉に比べ、言葉が命であるはずの政治家たちのそれは、なんと貧弱だったことか。 現役の声を代弁するべき先輩たちも、日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕会長は2日後になって、発言自体は不適切だとしながらも「(会長職を)全うしていただきたい」と擁護。女性活躍担当相でもある橋本聖子五輪相は、国会などで「(森氏の発言は)あってはならない」としながら「会長は発言を謝罪、撤回し反省されている」として、なかなか踏み込まなかった。室伏広治スポーツ庁長官は発言に直接触れず、「ジェンダー平等は重要」とのコメントを発表しただけ。JOCや組織委のアスリート委員会も動きが鈍かった。 国民や世界から見られていたのは、森氏の発言だけではない。その後の醜態も見えてしまった。「わきまえて」いた一人の橋本五輪相の名が新会長候補として挙がることには、強い抵抗を感じる。 森氏の発言に対する批判と辞任はやむを得ないと思うが、今夏までに変わるはずのない日本社会全体の問題でもある。コロナ禍で5カ月半後の大会をどうするかという問題とはスパンの桁が違うのに、恥も外聞もなく擁護に走る人、自己保身や政治的思惑で様子見を続けた人がいて、後任選出でも筋道と手順を誤った人がいる。その結果、一刻を争う時間が費やされ、あと何日かかることか。その分だけ、選手たちの努力と勇気が報われない結末へ向かう可能性が高まるようなことがあっては、やり切れない。 (時事通信社・若林哲治) (引用終わり) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Aug 10, 2021 09:24:29 PM
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