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西国三十三所霊場

2021年04月03日
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カテゴリ:西国三十三所霊場
 観音霊場記図会メモの追記。
 冒頭の「諸悪莫作 衆善奉行」の読みと意味。
○読み
 しょあくまくさ しゅうぜんぶぎょう
○意味
 悪をなすことなく あらゆる善を行う

 『法句経』七仏通誡偈にあるお釈迦様本人の言葉とのこと。
 諸悪莫作(しょあくまくさ)
 衆善奉行(しゅうぜんぶぎょう)
 自浄其意(じじょうごい)
 是諸仏教(ぜしょぶっきょう)

 意訳は「悪をなすことなく
 あらゆる善を行い
 自ら心をきれいに整えておくこと
 これが過去・現在・未来の仏の教えです」。
(『空海はすごい 超訳 弘法大師のことば』より)







最終更新日  2021年04月03日 06時23分50秒
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2021年03月05日
カテゴリ:西国三十三所霊場
○第三十一番 近江国蒲生郡長命寺
 推古天皇二十七年開基。
 推古天皇は聖徳太子の御祖母公。
 天皇の体調が悪く、医者が色々治療したがちっともよくならなかった。
 太子はひどく心配して、病気治癒を願って、自ら柳で聖観世音を刻みになった。一週間のお祈りで像が光を発し、天皇の体調が速やかに回復した。これが延命観世音の由来。
 天皇が太子に命じて堂舎を建立、延命観世音を本尊とし長命寺と名付けた。

 弘法大師が空海と名乗り東寺に居た時、腫れ物を患われていた。夢に白髪の老翁が現れて加治なさると、たちどころに治癒した。空海がどちらの方か尋ねると、江州の浜辺に居る者ですと答え、去って行った。
 その後数日で全快したので、琵琶湖の辺りを尋ねたが10日探しても会えなかったので、都に帰る途中、琵琶湖の辺りで金づち研ぐ老人を見た。老人に名を尋ねると、あなたが探しているのは私だ、と答えた。
 自分は、ここに住んで八千年の白髭の神。ここの水底に五十年前の火事で失われた、聖徳太子が自ら刻まれた観世音がある。あなたの法力で救いだしなさい。私も助力する、と言って白鳩になって飛び去った。
 空海は飛び去った方向を拝んだ後、熱心に水底に向かって祈ると、水面が二つに別れ、水中から光とともに観世音が現れ、空海は衣の袖で受け止めた。
 村人にこのことを伝えて再び本堂を建立し長命寺の本尊とした。また、空海自ら千手観音を刻んで腹内に尊像を納めた。

 天和の頃、疱瘡が流行したが、長命寺に参拝すると観音の霊験で子どもの命が助かった。
 心が強く常に観音を念じていた武江の佐々羅三八という浪人が、娘に取り憑いた痘神を屈服させ、証文を取った話。

○第三十二番 近江国神崎郡石場寺村観音寺
 聖徳太子は甲斐の黒駒に乗って、調子丸、秦川勝、跡見市位を連れて、仏法を広めるため全国をまわっていた。
 神崎郡の葦原で、聖者様、情けをかけて私たちを苦しみからお救いくださいと、声がした。見回したが姿は見えなかった。助けて上げるから姿を見せなさい、とおっしゃると、畏れ多く、また、見苦しい姿なので姿を現すのはお許しください、お情けをかけてください、と言った。
 どんなに見苦しくとも構わないとおっしゃったので、そうであればお許しください、と出てきたのは、身長三尺、頭は人間の女、体は魚だった。この姿を見て、川勝と市位は驚いたが、太子はこれは人魚で珍しくはない、と言った。功徳をもって助けたいので前世を話なさい、とおっしゃった。
 恥ずかしながら、私は堅田の浦の漁師で日々殺生をしており、疑いの心があったので神仏三宝を信心することもなく、生死のことも考えず一生暮らした。その報いで海中で、色々な魚や蛭、虫などが集まって私の鱗の間から血を吸いとられ苦しいので、聖者の弔いを受け助かりたいと言った。
 どんな法事でもするので望みを話しなさい、とおっしゃっると、それでは千手観世音の像を造って菩提を弔いください。ここに堂舎を建て、後の世に殺生をした者がどうなるのかの見せしめにしてください。御弔いの功力で、将来は観世音の眷属となれるようしていただきたいと、お願いしてそのまま姿が見えなくなった。
 それから太子は三尺の千手観世音を刻み、人魚のために御堂を建立し、観音寺と名付けた。太子が近江国に十二ヶ寺建立した寺の一寺である。
 救世観音の御化身である太子がご自身で刻まれた本当の大慈大悲の像がこれである。
 この功徳で人魚は仏の御加護を得て、死んだ後に観世音の眷属となった印として死骸を浜辺に浮かべたと、太子に夢を見せた。浜に出て見ると人魚の死骸が波で打ち寄せられてきたので、掬い上げて寺に納め、第一の宝物とした。
 若狭国風土記にある八百比丘尼となった人魚を食べた者の話。


○第三十三番 美濃国谷汲山華厳寺
 延暦二年開基。
 豊然上人開山。
 豊然上人がこの地で水に浮かぶ油を知り、質素な庵を構えた。
 奥州の大蔵信光が西国三十三所を満願した後、修行し霊木を手に入れた。都で仏師を探していると、旅の宿に童子が尋ね来て身の丈七尺五寸の観世音像を刻んでくれた。奥州に運ぶ途中、美濃国谷汲の辺りで観世音像がひどく重くなり野宿することにした。明け方この山中の出家に託すよう、お告げがあった。辺りを探して出会った僧に十一面観世音像を渡し、僧がいた質素な庵の後ろに堂を建て像を安置した。ここが三十三番の霊場となった。


・日本三文殊
 大和安倍文殊(安倍文殊院)
 丹後切渡文殊(天橋山知恩寺)
 奥州永井文殊(松高山大松寺)
 華厳寺の観世音像は文殊化身の作。


・西国順礼十ヶの徳
 一 火難、水難、横死の難、盗賊の難をのがる
 二 悪畜、毒虫、全ての獣にあい死する事なし
 三 毒薬、無実の難をまぬがる
 四 雷電、落馬の死をせず
 五 厄難、熱病、全て流行病を受けず
 六 海川、船に乗て風波の難をたまぬかる
 七 寿命長久子孫繁盛を守り給ふ
 八 諸神諸仏応護し給ふ
 九 所願成就せずと言うことなし
 十 諸の罪障滅して極楽浄土へ向かうべしとの御誓也
・普門品に寄せる古歌


観音霊場記図会 大尾
十句観音経

主要参考文献類




 
 
 






最終更新日  2021年03月05日 07時34分22秒
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2021年03月04日
カテゴリ:西国三十三所霊場
○二十八番 丹後国与謝郡成相寺
 齋遠禅師は山口県出身。京都の東寺にいて後に故郷に帰ったが、常に観世音を念じていた。
 その後、霊場を探して諸国を巡り、丹後国にいたった。天橋立の風景が世にも稀なので、有縁の霊地だと思い、中村郷の世屋山に質素な小屋を建て法花経を読誦した。
 ある年著しい大雪で里との交通が途絶え、庵の食料が尽きた。庵の近くの空地に鹿が一匹死んでいた。食べるべきか否か悩んだが、殺生には当たらない、食べて生きて人びとを済度すれば鹿の菩提を弔うことにもなると、鹿の太腿を切って鍋で煮た。
一箸食べるとたちまち元気になったので、後のためと一切れ鍋にとっておいた。
 春になって里人が飢え死にしているのではないかと、様子を見にきたところ、いつものように読経の声が聞こえた。何を食べて生き延びたか尋ねられたので、禅師はありのままを話した。里人はそんなはずはない、鍋の中には箔の付いた木屑があるだけだと言った。
 禅師が鍋を見ると確かに木屑だけだったので、はっと気付いて仏堂を開くと、聖観世音の腰の下に二寸ほどの切った疵があった。禅師が餓死するのを不憫に思い菩薩が我身お与えになったと考えて、残りの木屑を疵のところに当てると、観世音は元通りになった。
 これを見た里人は、禅師の尊さを知りそこに堂を建立し成相寺と呼んだ。
 本尊の聖観世音は禅師の念持仏。

 常に信心の誠のある家には、病気災難の憂いが少ないものだ。


○二十九番 若狭国鴻浦松尾寺
 一条院と鳥羽院が建立。
 鴻浦の長、結城宗太夫は観世音信仰が篤く、一寸八分の馬頭観世音像を常に身につけていた。慈悲深く、陰徳ある人柄で村の庄官として敬われていた。
 ある時全ての漁船が遭難し、宗太夫も亡くなったと思われ、親類縁者が集まり百ヶ日の法要をしている最中、宗太夫が一人帰ってきた。
 宗太夫は顛末を語った。羅刹鬼国に流され鬼女に捕まりそうになったが、観世音が現れて早く逃げなさいとお告げ下さった。白馬が嘶くのが見え、その馬に乗れと声が聞こえた。馬に乗ると雲の上を飛びいつの間にか若狭の浦に着いた。馬の尾は木に変わり白馬は山の方に行ったと語った。
 それは馬頭観音だろうということで皆で山に行くと足跡だけで姿はなく、鳴き声のする方に行くとさっきの木があった。その木で馬頭観音像を刻み山に安置した。
 この話が都に伝わり、一条院の勅命で御堂が建立され、宗太夫に下されたので、その子孫が堂の主になっている。
 堂内には宗太夫の像もある。

 信濃国都熊の湯で起きた馬頭観音の不思議。


○第三十番 近江国浅井郡竹生嶋
 本業寺と号
 観音堂は行基菩薩が建立。
 弁財天女鎮座の霊地。
 祭神は稲倉の魂命の御子神。
 社僧は天台社領三百石。
 昔役行者が来て竹を投げたところ、竹が生えてきたので竹生嶌と名付けられた。
 聖武天皇の夢で竹生嶋の弁財天が宝殿をお建てくださいとおっしゃった。夢から醒めると白蛇が守護していた。このため、行基菩薩に命じて勅願として宝殿を建立した。あわせて、忍穂耳尊、大己貴尊の三社をお祀りした。
 弁財天のお告げにより、行基は一刀三礼して千手観世音像を自ら彫刻した。
 弁財天は観音二十八部衆の内であり、西国三十三札所となる。


 日本六ヶ弁財天霊所というのは
 相州江の島 奥州金華山
 江州竹生嶌 安芸厳島
 駿州富士 和州天の川
 仲算上人とその時稚児。
 紀州より札打ちして竹生嶌に渡ろうとした者たちに起きた不思議。







最終更新日  2021年03月04日 09時09分00秒
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2021年03月03日
カテゴリ:西国三十三所霊場
第五巻
○廿五番 播磨国賀東郡新清水寺
 開基は法道仙人。
 都の清水寺と同じく、坂上田村麿の蝦夷征伐の時に建立されたので新清水寺と号した。
 本尊十一面観世音は聖徳太子草創、光善上人が再興した。
 播丹摂三国の堺五岳山と号した(現在は御嶽山)。
 金堂は推古天皇、講堂は聖武天皇、薬師堂は池の二位(平忠盛の正室)、大塔は祇園女御(白河法皇の妃)、阿弥陀堂は源頼朝公が建立した。
 金輪聖王天長地久国土安全の祈願所。
 都の大仏妙法院の門跡の末寺、西国三十三所二十五番霊場。
 「元亨釈書」に播州犬寺と記載されている。
 播磨国に一人当千と呼ばれた陪夫という武士がいた。蘇我入鹿誅伐で都に上り、3年間の留守中、妻は召使と密通し妊娠5か月になっていた。二人は留守中、陪夫の殺害を計画していた。陪夫が帰宅し数日後、召使は陪夫を狩りに誘い出した。陪夫と召使と猟犬2匹(黒龍白龍)で山奥に着いたとき、召使が陪夫に弓矢を構えた。陪夫が殺される理由を聞き終わった後、猟犬2匹が召使に飛び着き、噛み殺した。妻を手討ちにしようと帰ると、驚いた妻を2匹が噛み殺した。陪夫は恩に報いようと我が子のように育て暮らした。2匹が死ぬと、畜生道から脱する思いで千手観音を作り一宇を建立したので、世で犬寺と呼んだ。
 元亨釈書にある滋賀県の猟師が大蛇に襲われる寸前、犬に救われた話。
 京都の親犬が子を守った話。


○二十六番 播磨国賀西郡法華寺
 一乗寺と号
 山の峯が法花八軸の形をしているので、法花寺と名付けられた。
 法道仙人は、雲に乗って空から見て法花経八葉の蓮華の形で、成仏の台がある山とみて、八つの峯の真ん中の岩に籠って、飛鉢の行をなさっていた。
 年貢米を法力で移動させた不思議が関白を通じて天皇も知った。日本にこれ程神通力の高い僧がいるのは幸いとして、聖武天皇は、一宇を建立、金仏観世音を千手観音の御腹に納めて本尊とし、開山は法道仙人とした。


○二十七番 播磨国かつ西郡書写山
 圓教寺と号
 開山の性空上人は、六根清浄の神通力を身につけた知道兼備の名僧。
 性空上人の世俗の名は忠太小太郎で、藤原時朝中納言に仕える侍だった。家宝の硯を壊した罪を代わりに背負って死んだ若君の菩提を弔うために出家するよう命じられたので、その場で髪を切った。
 諸国修行に出て、筑前国の背振山の岩窟で十二年間法花三昧の修行を続け、天下の名僧となった。厳しい修行で心身を磨いて六根清浄の身となって六神通を身につけた。
 ある夜梵天帝釈王の使いが来て、観世音に仕えるならば播磨国の書写山が観音浄土の霊場なので行って修行しなさい、とお告げがあった。それから書写山に登り、柴の庵を結んで法花読誦を続けた。
 ある夜天人が天下って、庵の脇の桜木は観世音の霊木なので、この木で観世音を作り、ここに安置すると末代終世の霊場となるとお告げがあった。お告げ通り実現したのが書写寺。
 上人が正真の普賢菩薩を拝みたい願ったところ、江口の里に行きなさいとお告げがあった。江口の里は遊女の町で大きな家に通され、上人は真眼を開いて普賢菩薩を見、教えを聞いた。







最終更新日  2021年03月03日 06時07分41秒
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2021年03月02日
カテゴリ:西国三十三所霊場
○二十二番 摂津国惣持寺
 開基は越前守藤原高房。
 高房が助けた亀に先妻の子(のちの山陰中納言)が命を助けられた話。
 病気療養していた高房に観世音像造立を山陰中納言は命じられた。中国の霊木を購入したところ禁輸となったが、観音力で中国から日本の海に流れ着いた。
 仏師を探して長谷寺に参籠したところ、夢のお告げ通り童子に出会った。童子が実力を示すため彫った十一面観音は、後に新長谷寺の本尊となった。童子は山上の仮屋に籠って亀の上に立つ千手観音を成就した。童子は観世音菩薩だった。


○二十三番 摂津国豊嶋郡勝尾寺
 開山は双子の兄弟、善仲と善算。
 天王寺を出て山奥の霊地を探していたところ、摂津国豊嶋郡の山の峯に五色の雲がたなびく霊地を見つけ、柴の庵を結んだ地が現在の勝尾寺。
 奥の院の後ろの般若が峯を訪れて、開成王子が修行しているのに出会った。この山のことを知った天皇は、堂塔を建立し、本尊は弥勒菩薩を安置し、弥勒寺と名付けた。年を経て、善仲と善算は成仏の時がきたと開成王子に挨拶し、西方に飛びさって即身成仏した。
 その後、日向の国から沙門興日という僧が開成王子を訪ねてきた。興日沙彌は、日向に八尺の白檀の木があるので差し上げたいと申し出た。開成王子は、最近建てた講堂の本尊をどうしようかと思っていたので、観世音像を彫刻して本尊としたいと答えた。興日はあっという間に霊木と妙観という仏師を連れて帰ってきた。別堂をしつらえ7月18日に彫刻を始めようとすると、どこからともなく18人の童子が現れ、妙観と別堂に入った。8月18日、彫刻が完成したので奉りください、と告げられ別堂に行くと妙観が一人いた。御本尊を拝んでください、彫刻が終わったので妙観はお暇申し上げますと言って、合掌して眠るように死んでいった。
 17日、18日を観音の縁日としたのは、勝尾寺のこの出来事がはじまり。
 昔は弥勒寺と号していた。
 六代目座主の行俊上人は名僧だった。山奥の般若が峯に籠ったまま、清和天皇の病の原因を特定し法力で治癒させた。平癒後弥勒寺に行幸されて、勝王子と勅号をくだされ勝王子の宸筆の額を下された。
 後に、余りに恐れ多いので、額は宝蔵庫に納め勝尾寺と変えた。
 泣薬師の話。
 七代目聖如上人の時代の一向専修念仏者、教心の話。
 二階堂は浄土宗の開祖法然上人の御遺跡。


○廿四番 摂津国河辺郡中山寺
 中山寺は観音霊場のはじめ。
 奥の院は聖徳太子御建立の中山観音堂。
 大仲姫のお告げにしたがって、聖徳太子が三鈷の形の山に十一面観世音を御堂を建てた。三つ山の真ん中なので中山寺とした。
 観世音霊場のはじまりなので、昔は西国順礼の第一番だった。廿四番となったのは、花山院が仏眼僧正の案内で那智山を一番で順礼したため。
 徳道上人が授かった西国順礼の御契約の證印は、境内の石の「からと」にあった。
 観世音信仰に邪見を抱ていた多田蔵人行光の御台に生じた不思議。
 7月10日の千日参りに邪見を抱いた、浦上左近親子に生じた不思議。
 恵心僧都の作、目明の如来の由緒。







最終更新日  2021年03月02日 06時03分01秒
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2021年03月01日
カテゴリ:西国三十三所霊場
第四巻
○十九番 都革堂行願寺
 行円上人開基。
 猟師時代の殺生の念から発起し、鹿の皮着て修行を続けた。夢に現れた老僧のお告げに従い、下鴨神社の桑の霊木をいただき、一刀三礼をしながら千手観音を刻んだ。
 その後、志願を募り本堂建立を成就した。
 岡崎に住む大工が密通者による毒殺を免れる話。


○廿番 山城国西山善峯寺
 開山は源算上人。
 比叡山で学んでいたが、母親の危篤の知らせで下山。自らの手で看病をし、臨終を見とり、葬送を行った。
 無常を感じた上人は、西山善峯のほとりの庵に住み、念仏を唱え、世を観じる日々の送った。
 峯に紫雲がたな引いていたのでそこで暮らしていると、老翁が現れ、この霊地に霊仏を造立し、堂宇を建立して世に霊場と知らしめるよう告げられた。本尊は、革堂行願寺の観音の残木を用いて千手観音を刻むと霊仏となると告げられた。老翁は阿知坂明神だった。
 千手観音開眼後、夜半善峯から光明が輝き京の人々が参詣したが、庵に本尊が安置されていることを天皇が知り、本堂が建立された。
 その後中絶したが慈鎮和尚が中興した。
 悪人が生きて地獄の火に焼かれる話。
 宇都宮だきとめ如来の由緒。
 源算上人の御退隠の地は三鈷寺。
 孝行娘二人が観世音の助けで地獄から母親を救う話。


○二十一番 丹波国桑田郡菩提寺
 俗に 穴穂寺
 刀傷がある本尊、観世音像の由緒。
 丹波、生野、桑田郡、穴穂の地名の由来。
 亀山城下の金屋某の下女が、観世音の助けで熱病から救われた不思議。
 インドの蓮華女が出家を決心する時の話。







最終更新日  2021年03月01日 06時26分38秒
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2021年02月28日
カテゴリ:西国三十三所霊場
○十六番 山城国洛東清水寺
 檀主は右大臣坂上田村麿。沙門延鎮が白髪の翁の教え通り、柳を刻んで観音像を成就し、勅命による蝦夷征伐を助けを得て果たした田村麿が延鎮との約束通り、観音が開いた地に堂宇を建立した。
 勢州鈴鹿山の鬼退治の話は、田村麿ではなく一休和尚の財を得て山賊となった者の話。
 清水寺と呼ばれる所以。
 上総景清盛久、悪七兵衛景清が敵討ちに失敗したが、観音力に守られ助かった話。
 楠木正成が観世音に守られた話。
 三年坂と呼ばれる産寧坂の由来。
 音羽の滝の三筋は、中は利右は智恵左は慈悲で、観世音の利智悲三躰。


○十七番 山城国洛東六波羅蜜寺
 六波羅蜜の意味。
 空也上人の幼少期。
 定盛が俗躰妻帯のまま上人の弟子となった経緯。
 本尊十一面観音について。
 本堂のしたには大般若経600巻が地に敷き納められている。
 唐土多羅国の疫病での観音の功徳。
 空也上人と松尾明神との出会い。
 奇特。
 本尊の右の鬘掛地蔵の由緒。
 惣門が北面するのは六波羅蜜寺が日本初。


○十八番 都六角堂頂法寺
 六臂如意輪観世音は聖徳太子の守本尊。
 摂津国天王寺を建立するための材木を見立てにまわっていた時、涼んだ森が六角堂の地。
 水浴びをしている時、守本尊が数千貫目となりこの地を離れられなくなり泊まることになった。
 その晩の夢で観音のお告げで、この地に六角の御堂を建てることが命じられた。
 紫雲のかかる杉の神木だけで六角堂を建立した。
 子どもの頃、手習いで書いた「南無観世音菩薩」の書を賽銭箱に入れ続けた女性の出産に際して起きた不思議。
 閻魔王の鏡にうつることと観音のすくい。
 生花の池の坊は、六角堂の寺内坊舎がはじまり。














最終更新日  2021年02月28日 12時09分30秒
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2021年02月27日
カテゴリ:西国三十三所霊場
第三巻
○十三番 近江国勢田郡石山寺
 東大寺の大仏造立に際して、聖武天皇より良弁に金調達の勅命が下った。
 蔵王権現、比良の神に導かれた地に庵を建て、如意輪観音像に念じていると奥州より黄金の貢ぎものの知らせがあった。この霊地にお堂建立し、良弁僧正の小像を腹内に納めた丈六の大像を造立した。
 良弁僧正の出自と経歴。母親との再会。鷲に拐われた子を30年間探した母親を祀り、東大寺大仏殿と指図堂の間に子安神社を立てた。
 賀茂の社司の侍従の女が母親の尊弁僧正にあった、良弁僧正の身に起きたことに似た内容の話。
 恵心僧都の宇治の説法であった念仏の話。


○十四番 近江国三井寺
 三井寺の開山は智証大師で観世音像も自作。
 弥勒菩薩の化身とよばれた教待和尚が、新羅明神の言葉により如意輪観世音を奥の院から移すことで女人禁制が解け、女人が参詣できるようになった。
 三井寺の鐘の由来。


○十五番 山城国洛東今熊野
 嵯峨天皇の勅願所。
 後白河法皇は三所権現のお告げで頭痛が治癒したので、弘法大師が刻まれた十一面観音がある当地に権現の社を建て、熊野の土を入れて熊野詣でが都でできるようにした。
 観世音の助けで愛欲に惑わず出家を続けることができた話、二題。








最終更新日  2021年02月27日 10時18分37秒
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2021年02月26日
カテゴリ:西国三十三所霊場
○第十番 山城国宇治郡三室戸寺
 上醍醐山の麓、炭山の岩渕という池の中から僧、宗休の前に八寸二分の千手観世音が出現した。この話しを聞いて観音に参詣した三井寺の隆明阿闍梨が天皇に堂宇の建立奏上し、自ら開基となった。御本尊は天皇敕封となった。
 山城国長池村の火事の時に起きた不思議。


○十一番 山城国宇治郡上醍醐寺
 大蛇を退治し吉野から熊野への参詣道を切り開いた聖宝僧正開山。東大寺にいた時、上醍醐山に薬水ありと観音のお告げがあった。清水の涌出するところを探し当て醍醐水と名付け、そこで観音像を造立し醍醐寺を開いた。
 聖宝僧正の出自。
 日本最初の準提観音であることは「準提観世音霊験図会」に詳しく記載されている。

○十二番 近江国勢田郡岩間寺
 正法寺という
 泰澄の幼少期から越路の大徳としての岩屋での修行期を経て、元正天皇の御脳平癒を果たし、岩間寺建立に至るまで。
 岩間寺の雷消徐の由緒。
 猫も雷獣のうち?










最終更新日  2021年02月26日 11時09分22秒
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2021年02月25日
カテゴリ:西国三十三所霊場
第二巻
○第七番 大和国高市郡岡寺
 35代舒明天皇の都、岡本の宮にあったので岡本寺だった。
 本尊は一尺二寸だが、弘法大師が丈六の大像を作り胸に御本尊を納めた。
 天智天皇の時代、この地に住む毒蛇を義淵大僧正が法力でした退治した。
 退治した大蛇を池に投げ、弥勒菩薩様の下生される56億7千万年後まで出ることを許さない、と石で蓋をした。
 この場所に寺を建て、本尊を弥勒菩薩とし寺を龍蓋寺と名付けた。
 観音像は、弘法大師の入唐を助けた如意輪観世音様のお姿を三国霊場の土で作られた大像。
 龍蓋寺、龍門寺、新福寺は義淵大僧正が建立した。


○第八番 大和国城上郡長谷寺
 長谷寺の御本尊と開山の由緒。
 賢問子、芥子国父子が作った二丈六尺の観音像と台座の不思議。
 法道徳道道明これみな同人也。
 長谷寺をまた豊山という二つの名あり。
 初瀬寺未来鐘の因縁。
 今は昔都によしある者の娘の不思議。
 百済国の后の信心。


○第九番 南都興福寺南円堂
 右大臣、藤原高麿が子孫繁栄の方法を弘法大師に尋ね、弘法大師が観音像を造り、それを本尊として建てられた御堂の開眼法要をしたのが南円堂のはじまり。
 観音堂普請にあたり春日明神の助けがあった。
 南都樽井の井筒屋の娘の不思議。
 奈良の町の富家の娘の不思議。


 






最終更新日  2021年02月25日 08時48分10秒
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